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恒貞親王 つねさだしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

恒貞親王
つねさだしんのう

[生]天長2(825).京都
[没]元慶8(884).9.20. 京都
淳和天皇の第2皇子。母は皇后正子内親王。天長 10 (833) 年仁明天皇の皇太子となり,嵯峨,淳和両上皇に愛されたが,承和9 (842) 年承和の変 (廃太子の変) によって皇太子を廃され,淳和院に移されて東亭子に住んだ。そのため亭子親王ともいわれる。以後仏道に帰依し,嘉祥2 (849) 年三品となったが,次いで出家し恒寂と改め,貞観 18 (876) 年大覚寺の初祖となった。元慶8 (884) 年藤原基経が親王の賢明を慕って迎立しようとしたが,これを退けた。学を好み,詩文に長じ,書や琴をもよくし,仁明天皇に奏して大学に釈奠 (せきてん) の儀を復興した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

恒貞親王 つねさだしんのう

825-884 平安時代前期,淳和(じゅんな)天皇の第2皇子。
天長2年生まれ。母は正子(せいし)内親王。天長10年仁明(にんみょう)天皇の皇太子となるが,嵯峨(さが)上皇死去の際,橘逸勢(たちばなの-はやなり),伴健岑(ともの-こわみね)らがくわだてた事件(承和(じょうわ)の変)に関係したとして皇太子を廃された。三品(さんぼん)に叙されるが出家。元慶(がんぎょう)8年9月20日死去。60歳。法名は恒寂(ごうじゃく)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

恒貞親王

没年:元慶8.9.20(884.10.12)
生年:天長2(825)
平安前期の皇族。淳和天皇と皇后正子内親王(嵯峨天皇皇女)の子。亭子親王とも。天長10(833)年10月,嵯峨上皇の意向により仁明天皇の即位に伴って9歳で皇太子となったが,仁明には皇子道康(藤原良房の甥,7歳。のち文徳天皇)がいただけに,当初から不安が予想された。『恒貞親王伝』によれば成長するにつれ,嵯峨,淳和両上皇死去後のわが身を思い,「禍機測りがたし」として再三皇太子を辞退したが許されなかったという。嵯峨上皇没後に起こった承和の変(842)によって廃太子され,淳和院に移された。事件は道康立太子を意図する藤原良房の画策とみられる。嘉祥2(849)年1月三品を授けられたが,出家して恒寂と号し,のち大覚寺の開祖となった。元慶8(884)年,陽成天皇廃位のあと藤原基経から即位を要請されたが,固辞した。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

つねさだしんのう【恒貞親王】

825‐884(天長2‐元慶8)
淳和天皇の第2皇子,母は嵯峨天皇皇女,皇后正子内親王。833年(天長10)仁明天皇即位にともない皇太子となり,嵯峨・淳和両上皇に寵愛されたが,842年(承和9)の承和の変に連座して廃太子となった。以降淳和院東の亭子に起居し,849年(嘉祥2)に出家して恒寂(ごうじやく)と諱し大覚寺を開いた。持戒精進し,真言・天台の教義のほか史伝・五経も学び,隷書・音楽にも優れていた。陽成天皇の廃位のおり,884年に藤原基経から即位の要請があったが固辞し,まもなく60歳で没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

恒貞親王
つねさだしんのう
(825―884)

淳和(じゅんな)天皇の第二皇子。母は嵯峨(さが)天皇の皇女正子内親王。仁明(にんみょう)天皇の皇太子になったが、早くから前途に不安をもち皇太子を辞そうとしたという。842年(承和9)に承和(じょうわ)の変が起こり、これに連座して皇太子を廃せられ、かわりに後の文徳(もんとく)天皇が皇太子となって藤原北家(ほっけ)が興隆することになった。親王はのち淳和院の東の亭子(ていし)に住み、亭子親王といわれ、その後出家して恒寂(こうじゃく)と称した。884年(元慶8)2月、陽成(ようぜい)天皇を廃位に追い込んだ藤原基経(もとつね)は親王を次の天皇にたてようとしたが、親王は高齢でしかも仏門に入っていることを理由に辞退し、その年9月死去した。伝記に『恒貞親王伝』がある。[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代』(1959・東京大学出版会)』

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世界大百科事典内の恒貞親王の言及

【承和の変】より

…それは嵯峨上皇が没する直前に,阿保親王(平城天皇皇子)が,伴健岑らの陰謀を太皇太后橘嘉智子に密告したことによる。健岑らが上皇死後の混乱に乗じて,皇太子恒貞親王(つねさだしんのう)を奉じて東国に赴いて乱を起こそうとしている,というのである。密告をうけた橘嘉智子は中納言藤原良房にひそかに伝え,先のような軍事行動となったのである。…

※「恒貞親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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