日本大百科全書(ニッポニカ) 「恒貞親王」の意味・わかりやすい解説
恒貞親王
つねさだしんのう
(825―884)
淳和(じゅんな)天皇の第二皇子。母は嵯峨(さが)天皇の皇女正子内親王。仁明(にんみょう)天皇の皇太子になったが、早くから前途に不安をもち皇太子を辞そうとしたという。842年(承和9)に承和(じょうわ)の変が起こり、これに連座して皇太子を廃せられ、かわりに後の文徳(もんとく)天皇が皇太子となって藤原北家(ほっけ)が興隆することになった。親王はのち淳和院の東の亭子(ていし)に住み、亭子親王といわれ、その後出家して恒寂(こうじゃく)と称した。884年(元慶8)2月、陽成(ようぜい)天皇を廃位に追い込んだ藤原基経(もとつね)は親王を次の天皇にたてようとしたが、親王は高齢でしかも仏門に入っていることを理由に辞退し、その年9月死去した。伝記に『恒貞親王伝』がある。
[福井俊彦]
『藤木邦彦著『日本全史3 古代Ⅱ』(1959・東京大学出版会)』