日本大百科全書(ニッポニカ) 「春草廬」の意味・わかりやすい解説
春草廬
しゅんそうろ
京都・宇治の三室戸寺(みむろとじ)金蔵院から横浜の三渓園に移築された書院に付属していた茶室で、織田有楽(おだうらく)の作と伝えている。書院は伏見(ふしみ)城内にあった建物で、宇治の茶商上林三入(かんばやしさんにゅう)に与えられ、さらに後年、上林家から金蔵院に寄付されたと伝えられる。横浜に移した原三渓は書院と茶室を分離し、それぞれ月華殿、春草廬と名づけたが、それまでは茶室は九窓亭とよばれていた。杮葺(こけらぶ)き切妻造(きりづまづくり)の軽快な屋根に覆われ、軒が深く差し出されている。内部は三畳台目(だいめ)、茶道口の並びに二枚襖(ふすま)の給仕口をあけ、点前座(てまえざ)に相対する側に床(とこ)を配している。炉は台目切(ぎり)で、曲がりの少ない中柱を立てている。入隅(いりずみ)の二重棚には釣竹がない。窓が多く、2窓をもつ壁面が3面もあり、あわせて9窓を数える。
[中村昌生]