智慧諦定(読み)ちけい・たいじょう

朝日日本歴史人物事典 「智慧諦定」の解説

智慧諦定

没年:明治38.6.23(1905)
生年:文政12(1829)
幕末明治期の曹洞宗の尼。大和藤井(奈良県藤井村)の農家柳原平蔵の長女武蔵大谷田(東京都足立区)正法庵の諦隆尼が行脚の際に当家に宿泊し,その勧めに従って仏門に入り,浅草海雲寺の巨海潮音に就いて得度した。日中は正法庵の寺子屋で村の児童の教育を行い,夜は巨海のもとで諸学を学んで研鑽を積んだ。さらに,「関東尼僧取締役」に任ぜられ,尼の指導にも尽力した。明治5(1872)年の学制制定により,寺子屋での庶民教育は一応の終止符を打ったが,以後,僧,尼の指導に専念し,僧俗教化に尽くした生涯を送った。<参考文献>曹洞宗尼僧史編纂会編『曹洞宗尼僧史』

(熊本英人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「智慧諦定」の解説

智慧諦定 ちけい-たいじょう

1829-1905 幕末-明治時代の尼僧。
文政12年生まれ。曹洞(そうとう)宗。江戸浅草海雲寺の巨海潮音(こかい-ちょうおん)にしたがい出家。武蔵(むさし)大谷田(東京都)正法庵の寺子屋で村の児童の教育につくした。関東尼僧取締役。明治38年6月23日死去。77歳。大和(奈良県)出身俗姓は柳原。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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