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曹参 そうさんCao Can; Ts`ao Ts`an

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

曹参
そうさん
Cao Can; Ts`ao Ts`an

[生]?
[没]恵帝5(前190)
中国,前漢の高祖の功臣。慣用として「そうしん」とも読む。 (はい。江蘇省沛県) の獄吏であったが,劉邦が挙兵すると,これに従い,各地で軍を破って功を立て,漢の統一に貢献したため,劉邦即位後の論功行賞では,斉王劉肥の相国となり,平陽侯に封じられた。恵帝2 (前 193) 年蕭何 (しょうか) が死ぬと漢朝丞相となった。斉国の相国であったとき,蓋公に黄老の道を教わり,道家の無為の政治を行なった。

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世界大百科事典 第2版の解説

そうさん【曹参 Cáo Cān】

?‐前190
中国,漢の高祖の功臣。沛(はい)(江蘇省沛県)の人。沛県の獄吏であったが,劉邦が挙兵すると彼に従って各地を転戦。漢の天下統一後は斉王の相となり,平陽侯に封ぜられた。蕭何(しようか)が死ぬと漢の相国(宰相)の職を継いだが,すべて蕭何の定めた規約に従い,一事として変更することはなかった。その政治は,道家の精神により清静無為を尊び,言辞は正道,人民は休息を得て,賢相とたたえられた。【永田 英正】

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世界大百科事典内の曹参の言及

【黄老】より

…《漢書》芸文志には黄帝の名を冠した書物が多く著録され,1973年,馬王堆漢墓から《老子》とともに出土した帛書(はくしよ)のなかにも黄帝書と思われるものがある。《史記》には,戦国の申不害の学問は〈黄老に本づく〉とか,慎到,田駢(でんべん),接子,環淵たちは〈黄老道徳の術〉を学んだとかいい,また河上丈人から曹参(そうさん)まで7代にわたる黄老学の伝承の系譜を記録している。しかし〈黄老〉と熟した用例は《史記》以前の文献にはなく,その史実性は疑わしい。…

【山東[省]】より

…漢代に,さまざまな学術文化が復興してきたとき,その基盤となったのはこの斉・魯に伝えられたものであった。当初は治世の原理は儒教にではなく,無為隠静を旨とする黄老(黄帝,老子)の説に求められたが,それを推進したのは,高祖のとき,斉の大臣として地元に伝わる黄老の説に従って善政を行い,恵帝のときに丞相に採用された曹参であった。また武帝以後は,儒教が国家治世の原理として圧倒的な勢力をもつようになるが,その草創の時期に丞相として力を尽くした田蚡(でんふん)(?‐前131)は斉に封邑をもつものであり,つづいて最も功績のあった公孫弘は斉の菑川(しせん)の出身であるなど,斉との関係が深かった。…

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