蕭何(読み)しょうか

日本大百科全書(ニッポニカ)「蕭何」の解説

蕭何
しょうか
(?―前193)

中国古代の政治家。前漢朝高祖劉邦(りゅうほう)の最初からの臣で、劉邦と同郷の(はい)の豊邑(ほうゆう)(江蘇(こうそ)省豊県)の生まれ。初め(しん)の沛県の主吏掾(しゅりえん)という下級官吏で、有能だったらしい。劉邦が一農民だったころから援助しており、のち、劉邦が役目がら首都咸陽(かんよう)へ行ったとき、他の者より多くの餞別(せんべつ)を出したことは劉邦にとって終生忘れがたいことであったようだ。劉邦の起後はその参謀として一族をあげて加わり、武人としてよりも民政官として活躍、劉邦の窮地をしばしば救った。劉邦が天下を平定すると功臣中第一に推され酇侯(さんこう)に封ぜられ、やがて丞相(じょうしょう)から相国となった。秦軍との抗争中、都の咸陽城を落とした軍の諸将が金銀を争奪したのに、彼ひとり秦の記録文書を収め、それによって劉邦が天下の形勢をよく知りえたのは有名である。

[春日井明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「蕭何」の解説

蕭何
しょうか
Xiao He; Hsiao Ho

[生]?
[]恵帝2(前193).7.5.
中国,漢の開国の功臣。三傑の一人。沛 (はい) 県豊邑 (江蘇省沛県) の人。諡は文終。沛の下級官吏であったが,亭長 (村役人) である劉邦 (→高祖) が兵を起すと,その謀臣として活躍。秦都咸陽に入るとただちにの律令図書を手に収め,漢朝成立の基礎を固めた。劉邦と項羽の戦いが始ると,関中にあって留守を守り,軍需供給にあたった。また韓信の才能を見抜き,国士無双の武将として,劉邦に推薦した。漢朝成立後,さん侯に封じられ相国に進んだ。『九章律』を編している。

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精選版 日本国語大辞典「蕭何」の解説

しょう‐か セウ‥【蕭何】

中国、前漢の政治家。諡(おくりな)は文終。沛の豊邑(江蘇省豊県)の人。高祖劉邦第一の功臣で、丞相から相国となり、秦の法律・制度・文物の取捨吸収に努め、漢王朝経営の基礎を作った。律九章を作ったといわれる。韓信・張良とともに漢の三傑と称される。紀元前一九三年没。

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世界大百科事典 第2版「蕭何」の解説

しょうか【蕭何 Xiāo Hé】

?‐前193
中国,漢の高祖(劉邦)の功臣。沛(はい)(現,江蘇省沛県)の人。法令に通じて沛県の下級官吏となるが,早くから無名の劉邦の擁護者であった。劉邦が興起して沛公となると従軍して庶務を担当し,咸陽入城のときは,まっさきに秦の宮室にはいって律令図書の類を押収し,ために劉邦は土地の険要戸口の多少,人民の疾苦する原因など天下の情勢を詳細に知ることができたといわれる。劉邦が漢王となると丞相に任ぜられ,韓信を大将軍に推挙したり,また項羽と対決した楚漢の戦では,関中にとどまって経営し,兵糧兵士の補給に努めて功績があった。

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世界大百科事典内の蕭何の言及

【高祖】より

…劉邦は,諸県の父老と法三章のみを約束して,苛酷な秦法をことごとく廃除した。部下の能吏であった蕭何は,秦の丞相・御史が管理していた律令図書の類を接収し,これにより天下の要害や戸口の多寡などの情報を得,以後の戦局を有利に導いた。 2ヵ月おくれて函谷関を破って関中に進駐してきた項羽は,劉邦に出し抜かれて大いに怒り,両雄は相対立した。…

※「蕭何」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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