恵帝
けいてい
(259―306)
中国、晋(しん)(西晋)の第2代皇帝(在位290~306)。姓名は司馬衷(しばちゅう)。武帝の第2子。ガマガエルは天子のために鳴くのか、民のために鳴くのかと尋ねるなど暗愚を極め、その政治的無能力が、西晋の混乱と滅亡の要因となった。初めは2歳年長の賈(か)皇后に操られ、八王の乱が起こると八王諸勢力の傀儡(かいらい)となった。306年、河間王顒(ぎょう)を破った東海王越(えつ)によって長安から洛陽(らくよう)へ戻ったが、うどんを食べて急死した。越の毒殺とも伝えられる。
[安田二郎]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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恵帝[前漢]
けいてい[ぜんかん]
Hui-di; Hui-ti
[生]始皇帝37(前210)
[没]恵帝7(前188)
中国,前漢第2代の皇帝 (在位前 195~188) 。姓名は劉盈。父は高祖,母は呂后。しばしば長安城の修築に努めたほか,挟書の律など過酷な秦の刑罰を除いたが,性柔弱で,実権は呂后や呂氏一族の握るところとなった (→呂氏の乱 ) 。
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世界大百科事典(旧版)内の恵帝の言及
【呂后】より
…もと山陽単父(ぜんほ)(現,山東省単県)の出身。恵帝と魯元公主の生母。人となりは剛毅で,劉邦の覇業をよく助け,とくに韓信,彭越,黥布など異姓の諸侯王の謀殺に辣腕を振るった。…
※「恵帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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