曾俄野(読み)そがの

日本歴史地名大系 「曾俄野」の解説

曾俄野
そがの

千葉庄内にあった中世地名近世の千葉郡曾我野そがの村一帯に比定される。「下総国旧事考」は「蘇我野ハ池田郷内」とする。治承四年(一一八〇)九月、源頼朝軍が安房上総から下総へ向かったとき千田ちだ(現多古町)判官代藤原親正の軍勢が千葉の堀込ほりごめへ押寄せて堀の内に火を放ち、千葉常胤の孫成胤が防戦したが、その様子を「千学集抜粋」は「成胤曾加野まて馳せてふりかへりみるに、火の手上りけれは、まさしく親政かしわさならむ、此儘上総へまゐらむには、佐殿の逃たりなんとおほされんには、父祖面目にもかゝりなん、いさ引かへせやと返しにける」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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