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曾山幸彦 そやま さちひこ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曾山幸彦 そやま-さちひこ

1860*-1892 明治時代の洋画家。
安政6年12月25日生まれ。工部美術学校サン=ジョバンニにまなぶ。のち帝国大学工科大学や自宅の画塾で洋画をおしえた。画塾には岡田三郎助,和田英作,藤島武二らがいた。明治25年1月11日死去。34歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。姓はのち大野。幼名は富二郎。作品に「武者試鵠図」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

曾山幸彦

没年:明治25.1.11(1892)
生年:安政6.12.25(1860.1.17)
明治期の洋画家。薩摩国(鹿児島県)岩崎生まれ。幼名富二郎,のち大野家の養子に入り大野姓。伯父高崎正風を頼って上京,明治11(1878)年工部美術学校へ入学しサン・ジョヴァンニに師事する。14年在学中に生徒出品として第2回内国勧業博覧会コンテ画を出す。16年美術学校修業後,工部大学で画学を教えるかたわら,自宅で藤島武二,岡田三郎助,和田英作らに洋画を指導した。22年明治美術会創立に参加し評議員。翌年の第3回内国勧業博覧会に「武者試鵠図」を出品し褒状を受ける。

(三輪英夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の曾山幸彦の言及

【明治・大正時代美術】より

…彼らは1889年浅井忠,小山正太郎,本多錦吉郎(きんきちろう)(1850‐1921。国沢新九郎の彰技堂に学んだ),曾山幸彦(そやまさちひこ)(1859‐92),川村清雄(きよお)(1852‐1934)らと最初の洋画家の団体である明治美術会を結成,展覧会を開いて洋画の積極的な啓蒙活動がくりひろげられることになる。このなかでは浅井忠がフォンタネージの画風をよく生かして,《春畝》(1889)や《収穫》(1890)のように田園風物詩的なすぐれた作品を生んで傑出している。…

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