日本歴史地名大系 「曾我原村」の解説 曾我原村そがはらむら 神奈川県:小田原市曾我原村[現在地名]小田原市曾我原東端を剣(つるぎ)沢が流れ、西は永塚(ながつか)村、南は高田(たかだ)村に接し、曾我谷津(そがやつ)村・曾我別所(そがべつしよ)村・上曾我(かみそが)村・曾我岸(そがきし)村と村境が錯雑する。東南に大山道が通る。中世は曾我庄の一部。正保国絵図に「曾我原」とある。近世は小田原藩領。嘉永五年(一八五二)七月、当村など曾我四ヵ村が旱魃時に曾我岸村字尾崎(おざき)の土手から埋樋で和田(わだ)堰の水を引いたため、同堰水掛り村々と争論が起こり、同堰下筋まで水が行渡った後引水することで解決した(「規定取替証文」県史五)。万治二年(一六五九)検地の村高三八四石余(皇国地誌)。寛文一二年(一六七二)の家数三七、うち名主一・本百姓二七・から在家七・御山廻り一・舞太夫一、馬一九(「村明細帳」県史四)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by