最戸村(読み)さいどむら

日本歴史地名大系 「最戸村」の解説

最戸村
さいどむら

[現在地名]港南区最戸一―二丁目・大久保おおくぼ一丁目、南区別所べつしよ一丁目

東は下大岡しもおおか(現南区)久保くぼ村、西から北は別所村(現南区)、南は久保村に接する。大岡おおか川が村の東境を南から北に流れる。村域西部を別所村から久保村に至る金沢かねさわ道が通る。文明一八年(一四八六)の道興「廻国雑記」に「もちゐ坂といへる所にて、誹諧の歌、行つきて見れともみえすもちゐ坂たゝ藁靴に足をくはせて」とある餅井もちい坂は、当村と別所村との境といわれ、現在「ミなミかまくら道」の道標が立っている。「風土記稿」にも「又西寄に鎌倉古街道と云あり、是も僅許の道なり」とある。中世多々久たたく郷のうち、正保国絵図に最戸村とある。「風土記稿」には「古へ宍戸村又鹿戸村など書せしといへば、古くはししどと称せしならん」と記す。

近世はおおよそ幕府直轄領、元禄四年(一六九一)から江戸湯島聖堂領となる。天正一九年(一五九一)八月の久良岐郡小机之内多々久之郷之内西戸村御縄打水帳(横浜開港資料館蔵)には田七町七反五三歩、畑五町一四七歩、計一二町七反二〇〇歩。田園簿には高一五二石余、うち田一二〇石余・畑三一石余、ほかに新田見取場一石余がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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