改訂新版 世界大百科事典 「望都壁画墓」の意味・わかりやすい解説
望都壁画墓 (ぼうとへきがぼ)
Wàng dū bì huà mù
中国,河北省唐県城東約1kmの所薬村にある大型漢墓。1952年と55年に発掘調査された。30mの距離をおき2基が東西に並び,ともに墓室に壁画をもつ。西の1号墓は高さ約11m,南北46.7mの封土をもつ。塼築の墓室は墓道,甬道,耳室をもった前・中室,後室からなり全長20.35m。遺物は盗掘のため土製楼閣,井戸,石製碁盤等を残すのみであった。壁画は前室4壁と中室への通路の一部にある。上段には人物図,下段には鳥獣を描く。白灰面上に墨線で輪廓を描き,朱・青・黄3色で加彩する。人物図は墨書傍題により生前の墓主の随従官吏群像とわかる。2号墓も同規模の封土とさらに複雑な大型墓室をもつ。盗掘のため著しく破損しているが,1号墓と同様の壁画が若干残る。副葬品には石刻騎馬人物像,彩画石枕,緑釉明器,彩画俑がある。2号墓は出土した買地券により182年(光和5)築造の太原太守劉公墓であることがわかり,1号墓も墓の規模と壁画から太守級の後漢高級貴族墓であると考えられる。
執筆者:秋山 進午
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報