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朝倉敏景 アサクラトシカゲ

百科事典マイペディアの解説

朝倉敏景【あさくらとしかげ】

朝倉孝景

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世界大百科事典 第2版の解説

あさくらとしかげ【朝倉敏景】

1428‐81(正長1‐文明13)
越前の戦国大名。家景の嫡子。幼名小太郎,のち孫右衛門尉,弾正左衛門尉と称す。実名も教景,繁景,孝景と変わった。《朝倉始末記》などによって敏景の名が有名となった。越前守護斯波氏の三家老の一人。主家の内紛に乗じ守護代甲斐氏などの諸氏を圧倒し,一乗谷を本拠として越前を統一し戦国大名に成長。応仁の乱では初め西軍のち東軍に寝返る。家訓《朝倉孝景条々》をのこす。法名英林宗雄。【細溝 典彦】

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世界大百科事典内の朝倉敏景の言及

【朝倉孝景条々】より

…戦国武将朝倉孝景(英林)が子の氏景に残したとされる家訓。《朝倉英林壁書》(黒川本),《朝倉英林入道子孫へ一書》(新井白石本),《朝倉敏景十七箇条》(群書類従本)等の異称がある。条数は黒川本のみが16ヵ条,他は17ヵ条。…

【越前国】より

…旧国名。北陸道に属する大国(《延喜式》)。現在の福井県のうち南西部の旧若狭国を除いた北東部を占める。
【古代】
 北陸地方は古くは(こし)(高志)とよばれ,越前に当たる地域には角鹿(つぬが)国造,三国国造がいた。越は蝦夷経営の前進基地としての政治的役割をもち,589年に阿倍臣を北陸道に遣わし越等の諸国の境を視察させている。また658年(斉明4)および660年,越国守阿倍比羅夫が粛慎(みしはせ)を討っているのも,越の位置づけを物語る(なお,658年は誤りとする説もある)。…

※「朝倉敏景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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