朝倉孝景条々(読み)あさくらたかかげじょうじょう

百科事典マイペディア「朝倉孝景条々」の解説

朝倉孝景条々【あさくらたかかげじょうじょう】

越前国の戦国大名朝倉孝景(教景・繁景・敏景とも。法名英林宗雄)がめた家訓制定の年代は孝景晩年の1471年−1481年とみられる。黒川本は〈朝倉英林壁書(あさくらえいりんかべがき)〉,新井白石本は〈朝倉英林入道子孫へ一書(あさくらえいりんにゅうどうしそんへいっしょ)〉,《群書類従》は〈朝倉敏景十七箇条(あさくらとしかげじゅうしちかじょう)〉のを付すなど,諸本により種々の表題を持つ。条文は17ヵ,黒川本のみ16ヵ条から成る。内容は,宿老(しゅくろう)などの要職には家格によらず人材を登用すること,朝倉氏以外の者の城郭構築を禁じ,城下一乗谷(いちじょうだに)へ家臣を集住させることなど,朝倉氏の戦国大名としての集権性がうかがえる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「朝倉孝景条々」の解説

朝倉孝景条々
あさくらたかかげじょうじょう

朝倉敏景十七個条』ともいう。戦国大名,越前守護の朝倉孝景が相続人氏景に与えた 17ヵ条から成る領内統治の家訓。分国法の初期のものの一例とするがある。要点を具体的に,かつ簡潔に表現している。内容は,家臣団統制,人材の登用,倹約奨励戦力増強民政の重視,領国文化の育成,裁判の厳正,他国に対する警戒などにわたっている。『中世法制史料集』に収録。

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旺文社日本史事典 三訂版「朝倉孝景条々」の解説

朝倉孝景条々
あさくらたかかげじょうじょう

越前の戦国大名朝倉孝景(敏景・政景ともいう〔1428〜81〕)の制定した分国法
人材登用,節約,城下町(一乗谷)への家臣集住などを定めている。別名『朝倉敏景十七箇条』『朝倉英林壁書』ともいうが,内容に若干の異同がある。

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デジタル大辞泉「朝倉孝景条々」の解説

あさくらたかかげ‐じょうじょう〔‐デウデウ〕【朝倉孝景条々】

戦国時代の朝倉氏の分国法孝景が制定し、人材登用、家臣団の統制、節倹などの要点を17条に規定したもの。朝倉敏景十七箇条。

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世界大百科事典 第2版「朝倉孝景条々」の解説

あさくらたかかげじょうじょう【朝倉孝景条々】

戦国武将朝倉孝景(英林)が子の氏景に残したとされる家訓。《朝倉英林壁書》(黒川本),《朝倉英林入道子孫へ一書》(新井白石本),《朝倉敏景十七箇条》(群書類従本)等の異称がある。条数は黒川本のみが16ヵ条,他は17ヵ条。1471‐81年(文明3‐13)ころ成立。〈朝倉の家においては,宿老を定むべからず,その身の器用,忠節に従うべきのこと〉と世襲制を否定して,人材登用を唱う条項をはじめ,因習にとらわれぬ革新的,合理的な思考随所にみられる。

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世界大百科事典内の朝倉孝景条々の言及

【朝倉氏】より

…敏景(孝景)のとき,応仁の乱および主家斯波氏の内紛に乗じ,1471年(文明3)越前一国を領し,一乗谷に城を築く。《朝倉孝景条々》は戦国家法として有名。孫の貞景は一向一揆および同族争いを鎮め領国支配を確立。…

【家訓】より

…父祖や家長が子孫,一族,あるいは家臣に対して作成した訓戒。
【日本】
 中世前期には有名な《北条重時家訓》《北条実時家訓》などがあり,後期には戦国期の《朝倉孝景条々》と伊勢長氏の《早雲寺殿廿一箇条》,それに子息3人に3本の矢でさとした逸話で有名な《毛利元就書状》が知られている。北条重時,実時,毛利元就のものは,父が子に与えた訓戒として,狭義の家訓にもっとも適合的な内容のものであり,他方,《早雲寺殿廿一箇条》は家・一族共同体の支配に擬制された大名領国下の家臣団を対象とした広義の家訓の一例といえよう。…

※「朝倉孝景条々」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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