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一乗谷 イチジョウダニ

デジタル大辞泉の解説

いちじょう‐だに【一乗谷】

福井市南東部、足羽(あすわ)川に注ぐ一乗谷川に沿う谷間。戦国大名朝倉氏の本拠地。居館や城下町の遺跡が発掘され、特別史跡。

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百科事典マイペディアの解説

一乗谷【いちじょうだに】

福井平野の東部,一乗山(740.9m)の西麓を流れる一乗谷川のつくる南北に狭長な谷。この谷には中世,朝倉氏が越前(えちぜん)国の守護斯波(しば)氏の被官時代から一乗城山(435.8m)山上に城を構え,麓に城下町を形成,1573年織田信長によって滅ぼされるまで1世紀有余,越前支配の本拠地となり,越南(えつなん)の都と称された。
→関連項目朝倉孝景条々朝倉義景観音寺城

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世界大百科事典 第2版の解説

いちじょうだに【一乗谷】

福井県福井市街の南東約10kmにある足羽(あすわ)川支流一乗谷川の狭長な谷。1471年(文明3)朝倉敏景が父祖以来の坂南郡三宅黒丸(現,福井市北郊)を捨ててここに築城してから,1573年(天正1)義景が織田信長に滅ぼされるまで,越前守護朝倉氏5代の本拠地であり,戦国期の重要遺構として,両側の山地を含む地域が1971年特別史跡〈一乗谷朝倉氏遺跡〉に指定された。1967年以来の発掘により義景居館,庭園(南陽寺,湯殿,諏訪館。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一乗谷
いちじょうだに

福井市南東部の一地区。旧一乗谷村。福井市街の南東約10キロメートル、足羽川に注ぐ一乗谷川の一小谷。戦国時代末期、越前(えちぜん)国(福井県)の守護となった朝倉孝景(たかかげ)(敏景(としかげ))ゆかりの地。昭和初期、館(やかた)跡などが発見され、1971年(昭和46)特別史跡に指定された。また1991年(平成3)には遺跡内の四つの庭園が特別名勝に指定された。[編集部]

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世界大百科事典内の一乗谷の言及

【朝倉義景】より

…当初,越後の上杉謙信と攻守同盟を結び,加賀一向一揆の挟撃をもくろみ,何度も加賀に出陣。65年(永禄8)将軍義輝が松永久秀に殺されると,弟の義昭を一乗谷に迎え入れ,松永と対抗。しかし義昭を奉じて上洛する意志がないため,68年,義昭は織田信長とともに上洛。…

【越前国】より

…《朝倉系図》によれば孝景は1516年(永正13)将軍家より白傘袋並びに毛氈鞍覆(もうせんあんぷく)を免ぜられ,28年(享禄1)将軍義晴の御供衆に,35年(天文4)塗輿御免,38年には御相伴衆に列した。67年(永禄10)5代義景のとき,京都を追われた足利義秋は朝倉氏を頼って来越し,翌年一乗谷で将軍の宣下を受けて義昭と改名する。この義昭の仲介で約1世紀にわたって仇敵の間柄であった越前,加賀の和睦が成立した。…

※「一乗谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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