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加賀一向一揆 かがいっこういっき

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百科事典マイペディアの解説

加賀一向一揆【かがいっこういっき】

戦国時代に加賀国で蜂起した一向一揆。1471年蓮如(れんにょ)は越前国吉崎(よしざき)(現福井県あわら市)に下向して北陸地方真宗(一向宗)の布教を開始。これを受け,1474年から翌年にかけて加賀の守護勢力の一部と一向宗徒は,それぞれの反対勢力打倒の一揆(惣国一揆)を形成した。
→関連項目朝倉始末記加賀国倉月荘大聖寺山城国一揆

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世界大百科事典 第2版の解説

かがいっこういっき【加賀一向一揆】

1471年(文明3)吉崎へ下向した蓮如は,親鸞以来の血脈相承を根拠に一宗独立を宣言し,個別分散的な浄土系諸門流の掌握を開始した。蓮如教団は,世法的宗教観の否定を唱える門流をも内包し,他宗派との間に鋭い緊張関係を生じた。一方加賀守護勢力は15世紀中期以降幾度も二手にわかれ支配権を争っていた。このような状況下74‐75年一部守護勢と一向衆とは,国人層,百姓層,寺社勢力をも糾合し,それぞれの反対勢力打倒の一揆(惣国一揆)をおこした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

加賀一向一揆
かがいっこういっき

1474年(文明6)から1580年(天正8)にわたり、加賀国(石川県)の一向衆徒らが、国内を支配、運営した一揆。蓮如(れんにょ)は、親鸞(しんらん)以来の血脈相承を根拠に、一宗の独立を意図し、吉崎(よしざき)(福井県あわら市)滞在中(1471~75)分散的な北陸の浄土系諸門流を次々に吸収していった。1473年には、加賀での公的認可を条件に、富樫政親(とがしまさちか)の要請を受け、守護家の内紛に介入、翌年、高田専修寺(せんじゅじ)派と結ぶ富樫幸千代(こうちよ)を倒した(文明(ぶんめい)一揆)。続いて75年には政親と戦い、88年には、かわりの守護を擁立し、政親を高尾城に滅ぼした(長享(ちょうきょう)一揆)。文明一揆時、政親に協力した国人層は連合組織「郡」を結成。また長享一揆時、小地域ごとに結集した門末は「組」を結成した。「組」はやがて一門(宗主庶子)の与力(よりき)組織となった。
 1506年、1521~23年、畿内(きない)、北陸の政争の影響を受けて、数か国に及ぶ一揆が発生(永正(えいしょう)・大永(だいえい)一揆)。北陸の門末は、加賀一門の統制下にあったため、加賀の一揆は、越前(えちぜん)、越中(えっちゅう)など北陸一帯の一揆となった。1510年代に、本願寺一門は「郡」の有力者を家人化し、「郡」を一向宗の組織とし、続いて坊主衆の一揆への参加を禁止した。そのため、加賀の一揆組織は俗的色彩を強く帯びることとなった。「郡」は在地領主権を所領外の門末へも及ぼし、「組」は軍事的、財政的宗教役を担った。1531年、新・旧宗主系親族団の内紛により、一門が没落(享禄錯乱(きょうろくさくらん)、あるいは大小一揆)したため、「郡」と「組」は本願寺に直属(1546年以後金沢御坊(かなざわごぼう)に従属)することとなり、人員面、機能面での同一化を促進させていった。越前、能登(のと)の門末を含む「加賀」衆は、1555年、64年に朝倉勢と、70年代前半は上杉勢と、それ以後は織田勢と戦い続けた。「加賀」衆の支配権とその境界線は、ともに私的で、その安全性の保障は戦い続けることによってのみ得られた。しかし、1580年金沢御坊の陥落とともに、加賀一揆は織田軍により解体された。[金龍 静]
『井上鋭夫著『一向一揆の研究』(1968・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の加賀一向一揆の言及

【加賀国】より

…この〈文明の一揆〉によって,本願寺門徒の一向一揆は加賀一国の実質的な支配権を手中におさめ,続く88年(長享2)の〈長享の一揆〉で,守護権力の回復をはかった富樫政親を石川郡の高尾(たこう)城に滅ぼした。〈長享の一揆〉の結果,加賀一向一揆は富樫氏を名目的な守護としながらも,完全に本願寺門徒による自主管理の体制を確立し,守護大名の支配を排除した史上類例の乏しい共和政体を構築する。その後1世紀にわたった共和政体の前半段階を主導したのは,蓮如の子が配置された河北郡若松本泉寺,能美郡波佐谷(はさだに)松岡寺,江沼郡山田光教寺の〈賀州三ヵ寺〉であったとされるが,隣国越前,能登,越中での守護権力の打倒をめざした1506年(永正3)の〈永正の一揆〉に失敗したのちは,〈賀州三ヵ寺〉と越前系の藤島超勝寺,和田本覚寺や本願寺家臣団との抗争が激化し,31年(享禄4)の〈享禄の錯乱〉によって,主導権は本願寺家臣団や超勝寺,本覚寺に移る。…

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