朝坂村(読み)あさかむら

日本歴史地名大系 「朝坂村」の解説

朝坂村
あさかむら

[現在地名]氷上町朝阪あさか

油利ゆり村・佐野さの村の南にあり、中央を佐治さじ(加古川)が流れ、同川を挟み西は朝坂、東は辺田へだ。川西の朝坂を但馬への道、辺田を丹後への道が通る。同川に土橋が架かる(丹波志)。「丹波志」は辺田村・内山うちやま(福田村)を枝村とする。康応二年(一三九〇)二月晦日、朝坂の住人が沼貫ぬぬき内山常楽じようらく寺の先達引の檀那として紀伊熊野本宮に願文を捧げている(「氷上郡先達并檀那願文」熊野本宮大社文書)。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高四一一石余・畠高七〇石余、柴山あり、日損・水損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、天和三年(一六八三)旗本柴田領となり(「寛政重修諸家譜」など)、国立史料館本元禄郷帳でも同領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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