日本歴史地名大系 「朝日馬場村」の解説 朝日馬場村あさひばばむら 山梨県:都留市朝日馬場村[現在地名]都留市朝日馬場・盛里(もりさと)桂川の支流朝日川上流域に位置する。西は与縄(よなわ)村。集落は朝日川北岸の山裾にあって、東方の朝日曾雌(あさひそし)村の久保(くぼ)や神門(じんかど)の集落付近では馬場分の家と曾雌分の家、それに耕地の入組みがみられる。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控に村名はみえず、朝日村のうちにあったが、寛文九年(一六六九)検地を契機として分村した。しかし実質的には寛文検地以前から分村していたとみられ、元和五年(一六一九)頃の書写と考えられる文禄三年八月二八日の朝日村検地帳(渡辺洋男家文書、以下断りのない限り同文書)が残り、地字から当村分のものと推測される。同検地帳写によると、分米は計九八石余、田方五反余・畑方一三町一反余、名請人は二三七筆、桑や漆なども把握されている。寛文九年の検地帳では、田方一三石余・一町九反余、畑方五九石余・一二町一反余、桑五斗余・二七束半、山畑五町二反余、屋敷数二八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by