石船神社(読み)いわふねじんじや

日本歴史地名大系 「石船神社」の解説

石船神社
いわふねじんじや

[現在地名]桂村岩船 宮山

那珂川沿いの洪積台地から山地への入口にあたり、岩船いわふね川沿いの木立の中に鎮座。祭神は鳥磐樟船命、旧村社。「三代実録」の貞観元年(八五九)四月二六日条に「常陸国正六位上石船神、佐波波神並授従五位下」とあり、また「延喜式」神名帳の那賀郡七座のうちに「石船イハフネノ神社」とみえる。「常陸誌料郡郷考」には「按神階ハ此後贈位九度あれは明応十年に正二位なるへし」と記される。創建年代は不詳。社伝によると鳥磐樟船命は常陸国に天降り、岩船に乗って賊を討伐したといい、また源義家は征奥の途次当社に参拝したと伝える。

石船神社
いわふねじんじや

[現在地名]村上市岩船三日市 宮ノ上

いし川河口右岸丘陵地に南面して鎮座する。祭神は饒速日命・罔象女命・高神・闇神。社伝によれば大同二年(八〇七)北陸道観察使秋篠朝臣安人が勧請したという。「延喜式」神名帳の磐船いわふね郡八座の「石船イハフネノ神社」に比定される。天文一二年(一五四三)三月二〇日の色部家中八名連署起請文(色部氏文書)の罰文に「岩船之大明神」とみえる。

石船神社
いわふねじんじや

[現在地名]田辺町高船 里

祭神は饒速日にぎはやひ命。旧村社。古くは八王はちおう神社と称されたが、明治一四年(一八八一)に石船神社と改称されたという。しかし八王神社という社名以前にも石船神社の名称があったともいう(明治一六年綴喜郡神社明細帳)。綴喜郡神社明細帳は八王神社、祭神を天饒速日命とし、その由緒を「創立不詳、古老ノ伝曰、当社ハ元石船神社ト称シ、天饒速日命天磐船ニ乗、櫂峯ニ降臨、夫ヨリ河内国哮峯ニ到、大和国鳥見白庭山ニ遷ノ神ナリト云、即石船ト称スル石ハ当社ノ北境外山腹ニ存シ、今猶呼テ船石ト云、又彼舟繋松ナルモノ櫂峯続キ字大将軍ト称スル山上ニアリ、数十年前枯タリト雖モ今其古株ヲ存セリ」と記す。天孫降臨に先立って河内国に天降り、大和国鳥見とみ(現奈良市)の白庭山に移って長髄彦ながすねひこの妹を妃としたという饒速日命の神話をそのまま当社に結び付けたもので、当地が河内や大和との国境で、ことに大和の鳥見(登美)に近いため定着した伝説と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「石船神社」の解説

石船神社

新潟県村上市にある神社。“石船”は「いわふね」と読む。祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)など。毎年10月に行われる岩舟大祭で知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

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