鎌倉七口の一つ。鎌倉と武蔵国
「吾妻鏡」によれば、仁治元年(一二四〇)一一月三〇日、幕府は鎌倉―六浦間の道路建設を決定し、御家人らに分担を命じて明くる年三月以後に工事を開始することにし、四月五日から執権北条泰時監督のもとに着手したが工事は難航し、五月一四日にはついに泰時自身が現場に出向き、みずから馬で土石を運んだという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...