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朝比奈義秀 あさひなよしひで

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝比奈義秀
あさひなよしひで

[生]安元2(1176)?
[没]建保1(1213)?
鎌倉時代初期の武士。和田義盛の3男,三郎と称した。鎌倉幕府御家人中で抜群の武勇をもって知られた。正治2 (1200) 年将軍源頼家が海辺遊覧の際,水練の技を披露せよと命じられ,水中深くもぐってさめを手取りにして人々を感嘆させたという。建保1 (13) 年5月父義盛が鎌倉で北条義時と戦ったとき (→和田合戦 ) ,和田方の勇士として奮戦し,将軍の居所の正面から攻め込み,多数の武士を倒した。敵兵は義秀の進路をつとめて避けたと伝えられる。和田方が敗北するに及び,義秀は海路安房国へ向って逃走したが,その直後に戦死したらしい。なお『源平盛衰記』は,和田義盛が先に木曾義仲の妾であった巴 (→巴御前 ) をめとって義秀が生れたと伝えているが,『吾妻鏡』に義秀は建保1年に 38歳とあることから,この説は成立しない。

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デジタル大辞泉の解説

あさひな‐よしひで【朝比奈義秀】

鎌倉初期の武将。和田義盛の子。建保元年(1213)父とともに北条氏と戦い、安房(あわ)に敗走。豪勇で知られる。生没年未詳。朝比奈三郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朝比奈義秀 あさひな-よしひで

1176-? 鎌倉時代の武将。
安元2年生まれ。和田義盛の3男。安房(あわ)(千葉県)朝夷(あさひな)郡でそだち,朝比奈と称した。鎌倉幕府の御家人。建暦(けんりゃく)3年(1213)の和田氏の乱で北条氏に敗れ,安房にのがれたという。水泳にすぐれ,将軍源頼家(よりいえ)の前で鎌倉の海にはいりサメ3匹を素手で捕らえたという。狂言「朝比奈」などで武勇をつたえられる。通称は三郎。

朝比奈義秀 あさいな-よしひで

あさひな-よしひで

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朝日日本歴史人物事典の解説

朝比奈義秀

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:安元2(1176)
鎌倉前期の武士。通称は三郎。名字は安房国(千葉県)朝夷郡に由来する。和田義盛の3男。正治2(1200)年,将軍源頼家の御前で水中に潜って生きた鮫3匹を提げて戻り喝采を浴びた。建保1(1213)年の和田合戦では一族と共に奮戦し,その剛勇無双ぶりは神のごとく,義秀と戦って死を免れるものはないといわれるほどであった。父の身代わりになろうとした武田信忠に感じ入って,その場を通り過ぎるなど,情けを持ち合わせた武将でもある。義盛が討ち取られたのち船で安房国に逃れたが,討ち取ったものとして幕府が戦後処理している点は興味深い。武勇は後世にも語り継がれ,歌舞伎登場人物ともなっている。

(高橋秀樹)

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世界大百科事典 第2版の解説

あさひなよしひで【朝比奈義秀】

1176(安元2)?‐?
〈あさいなよしひで〉ともよむ。鎌倉前期の武将。和田義盛の三男。母は木曾義仲の妾巴御前という。安房国朝夷(あさい)郡で育ち,朝比奈三郎と称す。膂力(りよりよく)無双で水泳にも長じ,将軍源頼家の前でサメ3尾を手捕りにしてみせたという。1213年(建保1)の和田合戦では,和田軍の将として将軍御所へ突入し勇戦奮闘したが,敗れて海路安房へ逃げ行方をくらました。このとき《吾妻鏡》によれば38歳。【青山 幹哉】 朝比奈義秀は,大力の猛者の一人としてあまねく知られ,桃源は《史記》の注釈に,和泉小次郎や弁慶とともに日本の勇士の代表としてその名を掲げている(《史記抄》1477成立)。

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大辞林 第三版の解説

あさひなよしひで【朝比奈義秀】

1176~?) 鎌倉時代の武将。和田義盛の三男。母は巴御前といわれ、豪力無双と伝えられる。1213年、和田合戦で奮戦したが敗れ、安房に走り、以後不明。その武勇は能狂言・浄瑠璃などに戯曲化された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朝比奈義秀
あさひなよしひで

生没年不詳。鎌倉前期の武士。侍所別当(さむらいどころべっとう)を勤めた和田義盛(よしもり)の三男で、安房(あわ)国朝夷(あさひな)郡(千葉県安房郡)に住んだので朝比奈三郎と称した。1213年(建保1)5月、父義盛が北条氏の挑発にのって挙兵したとき、父に従って力戦したが敗れ、一族の多くは戦死。義秀は残兵をまとめて安房に脱出した。以後消息不明。強力かつ水泳の達者をもって聞こえ、鎌倉小坪(こつぼ)の海で将軍頼家(よりいえ)の命を受け海中に入り、鮫(さめ)3匹をとらえて浮上したという話が『吾妻鏡(あづまかがみ)』(正治(しょうじ)2年9月2日条)にみえている。[新田英治]

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世界大百科事典内の朝比奈義秀の言及

【朝比奈義秀】より

…このとき《吾妻鏡》によれば38歳。【青山 幹哉】 朝比奈義秀は,大力の猛者の一人としてあまねく知られ,桃源は《史記》の注釈に,和泉小次郎や弁慶とともに日本の勇士の代表としてその名を掲げている(《史記抄》1477成立)。しかし,《平家物語》などの軍記物に華々しく朝比奈の活躍が描かれているわけではない。…

【朝比奈】より

…娑婆の人間が賢くなり,仏道に帰依して極楽へ行くので地獄が飢饉となり,閻魔王は自身六道の辻へ出て罪人を捕らえて地獄に責め落とそうとする。そこへ,武勇を誇る朝比奈(三郎)義秀が来合わせたので,閻魔は責めたてるが,朝比奈は動じない。和田合戦の話をせよというと,朝比奈は合戦の様子を語りながら閻魔を手玉にとり,七つ道具を持たされた閻魔は,朝比奈を極楽浄土へ案内するはめになる。…

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