〈あさいなよしひで〉ともよむ。鎌倉前期の武将。和田義盛の三男。母は木曾義仲の妾巴御前という。安房国朝夷(あさい)郡で育ち,朝比奈三郎と称す。膂力(りよりよく)無双で水泳にも長じ,将軍源頼家の前でサメ3尾を手捕りにしてみせたという。1213年(建保1)の和田合戦では,和田軍の将として将軍御所へ突入し勇戦奮闘したが,敗れて海路安房へ逃げ行方をくらました。このとき《吾妻鏡》によれば38歳。
執筆者:青山 幹哉 朝比奈義秀は,大力の猛者の一人としてあまねく知られ,桃源は《史記》の注釈に,和泉小次郎や弁慶とともに日本の勇士の代表としてその名を掲げている(《史記抄》1477成立)。しかし,《平家物語》などの軍記物に華々しく朝比奈の活躍が描かれているわけではない。《源平盛衰記》などに一騎当千の女武者巴御前の子であったとするほか,《曾我物語》に曾我兄弟のよき理解者として登場し,五郎との力比べのことが見え近松門左衛門の曾我物に受け継がれ,《太平記》などに大力として和泉小次郎と名前を併記されている程度である。朝比奈の武勇譚の淵源は《吾妻鏡》,とくに和田合戦の記述にあったとみられる。《桂川地蔵記》(1417以降の成立)に,稚子(ちし)・嬰児(えいじ)が〈朝稲ガ門ヲ破リシ威ヲ奮フ〉さまを風流にしたことが見え,能《朝比奈》や《糺(ただす)河原勧進猿楽日記》(1464成立)に曲名の見える能狂言《朝比奈》も同材を扱っている。能狂言《朝比奈》は朝比奈が閻魔を屈伏させ極楽に案内させるという終曲をもち,御伽草子《朝比奈物語》は,夢の中で地獄破りをし悟りをひらいたという唱導的な内容を有し,古浄瑠璃《義経地獄破り》では地獄の門を破る役割を担って朝比奈が登場する。また,朝比奈は日本から高麗へ脱出したともいわれ(《本朝神社考》),源為朝や義経同様の島渡り説話が古浄瑠璃などにしくまれている。
執筆者:西脇 哲夫
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(高橋秀樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
生没年不詳。鎌倉前期の武士。侍所別当(さむらいどころべっとう)を勤めた和田義盛(よしもり)の三男で、安房(あわ)国朝夷(あさひな)郡(千葉県安房郡)に住んだので朝比奈三郎と称した。1213年(建保1)5月、父義盛が北条氏の挑発にのって挙兵したとき、父に従って力戦したが敗れ、一族の多くは戦死。義秀は残兵をまとめて安房に脱出した。以後消息不明。強力かつ水泳の達者をもって聞こえ、鎌倉小坪(こつぼ)の海で将軍頼家(よりいえ)の命を受け海中に入り、鮫(さめ)3匹をとらえて浮上したという話が『吾妻鏡(あづまかがみ)』(正治(しょうじ)2年9月2日条)にみえている。
[新田英治]
…このとき《吾妻鏡》によれば38歳。【青山 幹哉】 朝比奈義秀は,大力の猛者の一人としてあまねく知られ,桃源は《史記》の注釈に,和泉小次郎や弁慶とともに日本の勇士の代表としてその名を掲げている(《史記抄》1477成立)。しかし,《平家物語》などの軍記物に華々しく朝比奈の活躍が描かれているわけではない。…
…娑婆の人間が賢くなり,仏道に帰依して極楽へ行くので地獄が飢饉となり,閻魔王は自身六道の辻へ出て罪人を捕らえて地獄に責め落とそうとする。そこへ,武勇を誇る朝比奈(三郎)義秀が来合わせたので,閻魔は責めたてるが,朝比奈は動じない。和田合戦の話をせよというと,朝比奈は合戦の様子を語りながら閻魔を手玉にとり,七つ道具を持たされた閻魔は,朝比奈を極楽浄土へ案内するはめになる。…
※「朝比奈義秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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