コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

朝比奈義秀 あさひなよしひで

8件 の用語解説(朝比奈義秀の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝比奈義秀
あさひなよしひで

[生]安元2(1176)?
[没]建保1(1213)?
鎌倉時代初期の武士。和田義盛の3男,三郎と称した。鎌倉幕府御家人中で抜群の武勇をもって知られた。正治2 (1200) 年将軍源頼家が海辺遊覧の際,水練の技を披露せよと命じられ,水中深くもぐってさめを手取りにして人々を感嘆させたという。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

あさひな‐よしひで【朝比奈義秀】

鎌倉初期の武将。和田義盛の子。建保元年(1213)父とともに北条氏と戦い、安房(あわ)に敗走。豪勇で知られる。生没年未詳。朝比奈三郎

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朝比奈義秀 あさひな-よしひで

1176-? 鎌倉時代の武将。
安元2年生まれ。和田義盛の3男。安房(あわ)(千葉県)朝夷(あさひな)郡でそだち,朝比奈と称した。鎌倉幕府の御家人。建暦(けんりゃく)3年(1213)の和田氏の乱で北条氏に敗れ,安房にのがれたという。水泳にすぐれ,将軍源頼家(よりいえ)の前で鎌倉の海にはいりサメ3匹を素手で捕らえたという。狂言「朝比奈」などで武勇をつたえられる。通称は三郎。

朝比奈義秀 あさいな-よしひで

あさひな-よしひで

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

朝比奈義秀

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:安元2(1176)
鎌倉前期の武士。通称は三郎。名字は安房国(千葉県)朝夷郡に由来する。和田義盛の3男。正治2(1200)年,将軍源頼家の御前で水中に潜って生きた鮫3匹を提げて戻り喝采を浴びた。建保1(1213)年の和田合戦では一族と共に奮戦し,その剛勇無双ぶりは神のごとく,義秀と戦って死を免れるものはないといわれるほどであった。父の身代わりになろうとした武田信忠に感じ入って,その場を通り過ぎるなど,情けを持ち合わせた武将でもある。義盛が討ち取られたのち船で安房国に逃れたが,討ち取ったものとして幕府が戦後処理している点は興味深い。武勇は後世にも語り継がれ,歌舞伎登場人物ともなっている。

(高橋秀樹)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

あさひなよしひで【朝比奈義秀】

1176(安元2)?‐?
〈あさいなよしひで〉ともよむ。鎌倉前期の武将。和田義盛の三男。母は木曾義仲の妾巴御前という。安房国朝夷(あさい)郡で育ち,朝比奈三郎と称す。膂力(りよりよく)無双で水泳にも長じ,将軍源頼家の前でサメ3尾を手捕りにしてみせたという。1213年(建保1)の和田合戦では,和田軍の将として将軍御所へ突入し勇戦奮闘したが,敗れて海路安房へ逃げ行方をくらました。このとき《吾妻鏡》によれば38歳。【青山 幹哉】 朝比奈義秀は,大力の猛者の一人としてあまねく知られ,桃源は《史記》の注釈に,和泉小次郎や弁慶とともに日本の勇士の代表としてその名を掲げている(《史記抄》1477成立)。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

あさひなよしひで【朝比奈義秀】

1176~?) 鎌倉時代の武将。和田義盛の三男。母は巴御前といわれ、豪力無双と伝えられる。1213年、和田合戦で奮戦したが敗れ、安房に走り、以後不明。その武勇は能狂言・浄瑠璃などに戯曲化された。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朝比奈義秀
あさひなよしひで

生没年不詳。鎌倉前期の武士。侍所別当(さむらいどころべっとう)を勤めた和田義盛(よしもり)の三男で、安房(あわ)国朝夷(あさひな)郡(千葉県安房郡)に住んだので朝比奈三郎と称した。1213年(建保1)5月、父義盛が北条氏の挑発にのって挙兵したとき、父に従って力戦したが敗れ、一族の多くは戦死。義秀は残兵をまとめて安房に脱出した。以後消息不明。強力かつ水泳の達者をもって聞こえ、鎌倉小坪(こつぼ)の海で将軍頼家(よりいえ)の命を受け海中に入り、鮫(さめ)3匹をとらえて浮上したという話が『吾妻鏡(あづまかがみ)』(正治(しょうじ)2年9月2日条)にみえている。[新田英治]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の朝比奈義秀の言及

【朝比奈義秀】より

…このとき《吾妻鏡》によれば38歳。【青山 幹哉】 朝比奈義秀は,大力の猛者の一人としてあまねく知られ,桃源は《史記》の注釈に,和泉小次郎や弁慶とともに日本の勇士の代表としてその名を掲げている(《史記抄》1477成立)。しかし,《平家物語》などの軍記物に華々しく朝比奈の活躍が描かれているわけではない。…

【朝比奈】より

…娑婆の人間が賢くなり,仏道に帰依して極楽へ行くので地獄が飢饉となり,閻魔王は自身六道の辻へ出て罪人を捕らえて地獄に責め落とそうとする。そこへ,武勇を誇る朝比奈(三郎)義秀が来合わせたので,閻魔は責めたてるが,朝比奈は動じない。和田合戦の話をせよというと,朝比奈は合戦の様子を語りながら閻魔を手玉にとり,七つ道具を持たされた閻魔は,朝比奈を極楽浄土へ案内するはめになる。…

※「朝比奈義秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

朝比奈義秀の関連キーワード足助重信安西景益春日貞幸相良頼重鈴木重時高井重茂田尻種重東条景信馬場利重山代固

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone