日本歴史地名大系 「六浦津」の解説
六浦津
むつらのつ
御遊覧
、渡
御六浦
」、五月一日条に「将軍家自
六浦
還御、去夜御
止―宿六浦
」とあり、また寛喜二年(一二三〇)三月一九日条に「将軍家為
御遊覧
、出
御于三崎礒
、(中略)自
六浦津
、召
御船
、海上有
管絃
」、仁治元年(一二四〇)一一月三〇日条に「鎌倉与
六浦津
之中間、始可
被
当
道路
之由有
議定
」とある。同書元仁元年(一二二四)一二月二六日・嘉禎元年(一二三五)一二月二七日条によると、四境の一として鎌倉の東方を扼するとともに、南方に三浦氏一族、海を渡って東に房総の千葉氏を牽制する要衝として幕府から注目された。さらには波浪の高い外洋に面した
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報