六浦津(読み)むつらのつ

日本歴史地名大系 「六浦津」の解説

六浦津
むつらのつ

平潟ひらかた湾が西に大きく湾入していた辺りにあった入江。「吾妻鏡」安貞二年(一二二八)四月二八日条に「将軍家為御遊覧、渡御六浦」、五月一日条に「将軍家自六浦還御、去夜御止―宿六浦」とあり、また寛喜二年(一二三〇)三月一九日条に「将軍家為御遊覧、出御于三崎礒(中略)六浦津、召御船、海上有管絃」、仁治元年(一二四〇)一一月三〇日条に「鎌倉六浦津之中間、始可道路之由有議定」とある。同書元仁元年(一二二四)一二月二六日・嘉禎元年(一二三五)一二月二七日条によると、四境の一として鎌倉の東方を扼するとともに、南方に三浦氏一族、海を渡って東に房総の千葉氏を牽制する要衝として幕府から注目された。さらには波浪の高い外洋に面した由比ゆいガ浜(現鎌倉市)に比して、岬や島に囲まれて山懐深く湾入した入江が自然の良港を形成していたため鎌倉の外港として重んぜられ、北条氏がこの地を直轄領とし、一族の金沢氏がここを拠点として称名しようみよう寺や金沢かねさわ文庫を造立し、以来北条氏滅亡後も、東京湾海上交通の中心となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「六浦津」の解説

六浦津
むつらのつ

現在の横浜市金沢区にあった鎌倉時代の港。鎌倉の東の境界外に位置する外港として重視され,北条氏が直轄領化した。一族の金沢(かねざわ)氏がここに金沢文庫を造立。東京湾の海上交通の拠点として栄え,唐船琉球船が来航したといわれる当時の繁栄ぶりは,港を見下ろす位置にある上行寺東遺跡からも垣間みることができる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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