日本歴史地名大系 「朝里村」の解説 朝里村あさりむら 北海道:後志支庁小樽市朝里村[現在地名]小樽市朝里一―四丁目・朝里・新光(しんこう)一―五丁目・朝里川温泉(あさりがわおんせん)明治初年(同二年八月―同六年の間)より同三五年(一九〇二)まで存続した村。熊碓(くまうす)村の東にあり、西部を朝里川が北流する。明治三年の「北行日記」に「アサリ人家三軒」とある(同年九月九日条)。同年に朝里村が置かれたという。同六年の「後志国地誌提要」に朝里村とみえ、戸数七一・人口四五三、寄留戸数八、男七二・女一一。同九年朝里教育所開設。同一〇年三月頃浦役場設置。 朝里村あさりむら 北海道:後志支庁小樽市朝里村明治三五年(一九〇二)より昭和一五年(一九四〇)まで存続した小樽郡の村。平磯(ひらいそ)岬から小樽内(おたるない)川までの一帯。明治三五年四月朝里・熊碓(くまうす)・張碓(はりうす)・銭函(ぜにばこ)四ヵ村の合併により新たに朝里村が成立、二級町村制施行。同三七年日露戦争で砲撃を想定、龍徳寺(りゆうとくじ)―朝里の奥―銭函を結ぶ道路が開削された(大正九年国道に編入)。同四三年手宮(てみや)―朝里間の鉄道複線工事が完了、同四四年にも同じく銭函―朝里間が竣工。大正一一年(一九二二)上水道の水源として朝里水源地の造成工事が着工、同一五年に完成した(小樽市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by