木乃部村(読み)きのべむら

日本歴史地名大系 「木乃部村」の解説

木乃部村
きのべむら

近衛家領宮田みやだ庄内の村名。庄域の南西は京都東寺領大山おおやま庄と接し、現篠山市西木之部にしきのべ・東木之部に比定される。大山庄の南東部は宮田川水系に属するため、上流域の宮田庄と密接な関係にあり、承安三年(一一七三)以来宮田庄が大山庄に用水を供給する替りに、大山庄内の山野草木を利用する契約が結ばれていたが(徳治三年五月二八日「大山庄用水契状」東寺文書)、鎌倉期には開発が進み、とくに大山庄に中沢氏が地頭として入部して以降、両庄間での山林・用水をめぐる対立が激化する。建治二年(一二七六)一二月一二日には大山庄境の木乃部村の代官源三郎入道西善主従が古木伐採をきっかけに中沢基員に殺害される事件が起きて対立は頂点に達し、宮田側は庄内を通過する大山庄への用水を切落すなどして対抗した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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