宮田庄(読み)みやだのしよう

日本歴史地名大系 「宮田庄」の解説

宮田庄
みやだのしよう

篠山盆地の北西部、篠山川支流の宮田川流域一帯に比定される近衛家領庄園。史料上庄内栗柄くりから小坂おさか板井いたい興法寺こうぼうじ木之部きのべ矢代やしろなどの村名が確認でき、旧西紀町の篠山盆地に近い大部分および旧篠山町の西端部を庄域としていたことが知られる。南北朝期には庄内を上三ヶ村・下三ヶ村に分ける表現もみられる(貞治四年六月「宮田庄上三ヶ村仏神田注進状」・年欠「宮田庄下三ヶ村仏神田注進状」近衛家文書)。庄域のかなりの範囲には条里地割が遺存している。なお「篠山領地志」「篠山封疆志」は大野おおの矢代坂本さかもと西谷にしたに高屋たかや黒田くろだ・上板井・下板井・宮田・東木ひがしき・西木ノ部・小坂打坂うちさか乗竹のりたけ高坂たかさか倉本くらもとを宮田庄とし、「多紀郡志」は垣谷かきやを加える。下板井の川内多々奴比かわちたたぬひ神社(一宮)総社であった。

〔近衛家領庄園〕

成立の経緯は不明であるが、建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)には「庄務本所進退所々」として「高陽院領内」の注記とともに「宮田庄 長範」とみえ、また「所領濫觴者、委見延久二年十月六日進官目録、建長五年十月廿一日注出之」とあり、当庄が延久庄園整理令によって提出された目録に書上げられ、高陽院(藤原忠実女泰子)領として近衛家に伝えられたことが知られる。一二世紀初めの摂関家年中行事における所課を書上げた「執政所抄」によれば、当庄は元日の四方拝供御座の薦三〇枚を負担している。天承二年(一一三二)八月五日の東寺政所下文(東寺文書)および同日の関白藤原忠通家御教書(同文書)により宮田庄寄人の隣接する大山おおやま庄への濫妨停止が命じられている。「中右記」長承四年(一一三五)三月八日条には「大殿給御消息云、宮田庄従宇治殿返給也、替召他庄也、申云、雖大殿御沙汰、此家中之事不令取放給由申了、無重御返事」とあり、大殿藤原忠実の宮田庄をめぐる対応に問題が生じていたことがうかがえる。平治元年(一一五九)九月一五日の丹波国司庁宣案(近衛家文書)などによれば、大嘗会所課が院宣により免除されていた。

元亨四年(一三二四)四月の造大神宮料丹波国催神部成行重申状(近衛家文書)によれば、田数二二二町八段一六〇歩という規模の大きい庄園で、「後法興院記」応仁二年(一四六八)四月一〇日条には「家門異他旧領廿五ケ所内忠仁公以来別相伝地也」と記されている。当庄は近衛家の重要庄園の一つとして、進藤長範の一族など近衛家に仕える中下級貴族が預所となり、本所近衛家の直接指揮の下で、在地の土豪を下司・公文に任じ、村々に代官を置いて庄園支配を行っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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