日本歴史地名大系 「木地小屋村」の解説 木地小屋村きじごやむら 福島県:耶麻郡猪苗代町木地小屋村[現在地名]猪苗代町若宮(わかみや)酸川野(すかわの)村の北東に位置し、集落は西流する酸川北岸の平坦部にある。福島街道の駅所で、掟条目の制札所も設けられていた(新編会津風土記)。川東組に属した。「新編会津風土記」によると、元亀二年(一五七一)檜原(ひばら)村(現北塩原村)から備後・縫殿助という二名の木地師が来住、当初は木地挽を業とし、のち田圃を開き一村となしたという。一方、文化年中(一八〇四―一八)のものと思われる清兵衛覚書(薄家文書)によれば、元亀二年檜原村から備後之丞源光秀が来住、木地を職としたのを皮切りに同年大塩(おおしお)村(現北塩原村)鈴木縫殿之助清長、文禄四年(一五九五)には出羽板谷(いたや)村(現米沢市)四郎右衛門、慶長四年(一五九九)には会津郡戸石小屋(といしごや)(現下郷町)惣兵衛・惣左衛門の兄弟がそれぞれ当地に移り住み、その後も河沼郡上田(うえだ)(上田谷地)村(現湯川村)からは市右衛門ら三名が移住したといい、方々からの転入者によって成立した村と考えられる。 木地小屋村きじごやむら 三重県:飯南郡飯高町木地小屋村[現在地名]飯高町宮前(みやまえ)滝野(たきの)村の北、局(つぼね)ヶ岳の南麓にあり、櫛田(くしだ)川の支流深谷(ふかや)川に沿う。木地小屋の名は木地屋に由来するといわれる。明治二年(一八六九)大指出帳(徳川林政史蔵)によれば家数九、人数二八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by