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木地屋 きじや

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

木地屋
きじや

ろくろを使って木材をくりぬき,「挽き物」と呼ばれる日用器物漆器素地 (きじ) をつくる職人。かつては良材を求め,山間をさすらう民であったが,次第に定住し,集落を形成するにいたった。明治以降にはほとんど定住生活となった。多数の民俗伝承とともに種々の「木地屋文書」が残っている。

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デジタル大辞泉の解説

きじ‐や〔きヂ‐〕【木地屋】

木地びきを職業とする家。また、その人。木地びき。木地師

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百科事典マイペディアの解説

木地屋【きじや】

山中の木を切り,漆その他の塗料を加飾しない木地のままの器類を作ることを生業とした職人。木地師・木地挽ともよばれ,ろくろを用いることから轆轤師ともいう。近江国小椋谷(おぐらだに)の蛭谷(ひるたに)・君ヶ畑(きみがはた)を本貫地とし,惟喬親王を祖神とするという伝説をもつ。
→関連項目河原巻物行商こけし奈良井椀貸伝説

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世界大百科事典 第2版の解説

きじや【木地屋】

木地は,(1)木の地質(木目),(2)細工物の粗形,(3)とくに指物・漆器などに漆その他の塗料を加飾しないものをいうが,このうち(3)を製作することを生業とした職人が,近世以来ひろく〈木地屋〉と呼ばれていた。それも大別すると,(a)指物などの板物細工に従った角物木地,(b)円形木器の挽物(ひきもの)細工に従った丸物木地,(c)杓子・檜物(曲物)など雑多な木地細工に従うものがあった。その中で(b)の丸物木地は,工具に原始的な手びきろくろとろくろがんなを操作して,いわゆる挽物の日用食具(椀,盆,丸膳など)を主に生産して庶民生活にとりわけなじみ深いものであったからか,木地屋といえばもっぱらこの種職人の代名詞のようになっている。

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大辞林 第三版の解説

きじや【木地屋】

轆轤ろくろを使って椀や盆など、木地のままの器物を作る職人。かつては良材を求めて山から山へと渡り歩いていた。明治以降、急減。木地師。木地挽き。轆轤師。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

木地屋
きじや

木地の挽物(ひきもの)をつくる木地師の店。木地挽師・轆轤(ろくろ)師また轆轤屋ともいった。13世紀の鎌倉期には木工から分化していたようである。塗師などの漆塗職人の下職になる者や、挽物に簡単な色をつけたり漆を塗ったりしていた者もある。居職(いじょく)であり、ミズキ、シラカバ、トチ、ケヤキ、ホオノキなどを材料としていた。木地屋のなかには、木材に恵まれた各地の山村に集落をつくり、椀(わん)、盆、しゃくし、こけしなどの日常生活用具をつくっていた者も多かった。木地屋は文徳(もんとく)天皇の皇子惟喬(これたか)親王を祖神とする伝承をもち、近江(おうみ)(滋賀県)愛智(えち)郡東小椋(おぐら)村(東近江(おうみ)市)の君ヶ畑と蛭谷(ひるたに)とが発祥地であるとされる。鎌倉期以来の木地屋文書をもち、職人としての独特の習俗を残している。小椋、小倉(おぐら)の姓を名のる者は木地屋にゆかりのある者で、各地に分布している。木地師は轆轤師ともいわれるように、挽物の道具はろくろであり、日本の古い工作道具の一つである。このろくろは横軸で一人挽きの手挽きろくろである。台上の両端に柄(え)(軸受)を立て、水平に軸木を通し、その軸木に巻いた革や紐(ひも)を右・左交互に引くと、軸木が交互に回転する。その軸木の一方の先端に何本かの釘(くぎ)か針を刺し、それに加工するものをつけ、「ろくろかんな」という刃物で、またはそれを別の台木(刃物台)で支えて加工造形する。ろくろそのものを回転させるのは家族か徒弟であった。足踏みの一人挽きの前挽きろくろが使われるようになったのは、19世紀後半の明治時代になってからで、昭和に入ってからは一般に電力が利用されるようになったので、加工は効率的となってきた。今日では、手動の手持ちバイトと、旋盤刃物台に機械的に固定した固定バイトが使われている。挽物製品も建築装飾、建具、家具、玩具(がんぐ)、運動具、器械や道具など多方面となっている。[遠藤元男]
『杉本寿著『きじや』(1952・名古屋営林局/1973・文泉堂) ▽中村源一著『ろくろと挽物技法』(1981・槇書店) ▽橋本鉄男著『民俗民芸双書88 木地屋の民俗』(1982・岩崎美術社) ▽日本木地師学会編『木地師・光と影――もう一つの森の文化』(1997・牧野出版) ▽田畑久夫著『木地屋集落――系譜と変遷』(2002・古今書院)』

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世界大百科事典内の木地屋の言及

【小椋】より

…滋賀県神崎郡永源寺町の愛知(えち)川上流に沿う渓谷一帯(旧,愛知郡東小椋村)の地名。各地に散在する木地屋の根元の地と考えられていた所である。この地の君ヶ畑(きみがはた),蛭谷(ひるたに),箕川(みのかわ),政所(まんどころ),九居瀬(くいぜ),黄和田(きわだ)の6集落は,小椋谷六ヶ畑とも呼ばれた。…

【職業神】より

…山を生活の場とする職種は多様で,それぞれ独特の山の神信仰をもち,また特色ある職種神を信仰してまつる。 山中に樹を切り轆轤(ろくろ)と呼ぶ特殊な工具を使って椀,盆などをつくる工人を木地屋という。木地屋は山を生活の舞台とするため山の神の信仰をもつが,一方でその職能の始祖としての小野宮惟喬(これたか)親王を崇拝した。…

【由緒書】より

…灯炉供御人の全国的組織解体の事態に直面した鋳物師を再組織した真継家が,供御人の伝統を背景にしつつも,戦国時代,諸国にそれぞれ商圏をもつようになった鋳物師の実情,当時の習俗に即しつつ,鋳物師に伝わる伝承を取り入れた由緒書を作成,さらに正確な文書を下敷きにしつつ偽文書を作ったのは,その好例である。惟喬(これたか)親王を職能の祖とする木地屋(きじや)の由緒書と偽文書も,神祇官を通じて天皇に属した轆轤師(ろくろし)の伝統を背景に,江戸時代に入ってから全国の木地屋を組織するために作られたものと思われる。また被差別部落には,〈河原巻物〉ともいわれ,その職能・特権,差別の由来を語るさまざまな由緒書が伝わっているが,そこにしばしば現れる〈延喜御門〉(醍醐天皇)は,16世紀に塩売りとして活動した坂の者(非人)の正当な文書(〈北風文書〉〈八坂神社文書〉)にも現れるので,この由緒書も単に江戸時代に捏造(ねつぞう)されたものではなく,戦国時代のなんらかの事実・伝統を背景にしているのである。…

※「木地屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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