本多忠周(読み)ほんだ ただちか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠周」の解説

本多忠周 ほんだ-ただちか

1641-1712 江戸時代前期の大名
寛永18年生まれ。陸奥(むつ)白河藩(福島県)藩主本多忠義(ただよし)の5男。延宝9年5000石の領地三河(愛知県)にうつされる。天和(てんな)2年2000石を,3年寺社奉行となって3000石を加増され,足助(あすけ)藩1万石の藩主。のち3000石をけずられ,旗本となった。正徳(しょうとく)2年7月5日死去。72歳。通称は忠当(ただまさ)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む