日本歴史地名大系 「本庄の石仏」の解説 本庄の石仏ほんじようのせきぶつ 宮崎県:東諸県郡国富町田尻村本庄の石仏[現在地名]国富町田尻 下田尻本庄川の右岸、田尻(たじり)の南部丘陵の中腹の岩壁を利用した磨崖仏で、県指定史跡。地上から光背の上端まで約五・八メートル、肩幅約一・五メートル。下半身は磨滅しており、右手は掌を掲げているが、左手が腕部より欠落しており、阿弥陀如来か薬師如来か判然としない。「高岡名勝志」によると、田尻村の観音堂の地にはかつて日羅の開山と伝える松森(まつもり)寺があり、慶長五年(一六〇〇)の高岡(たかおか)郷成立以前に廃寺となっていたが、寺域の岩に仁王像が左右に彫られ、その周りにも多くの彫像があり、堂の奥には大仏の釈尊と六観音が彫られていたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by