日本歴史地名大系 「本永寺」の解説 本永寺ほんえいじ 宮崎県:東諸県郡高岡町内山村本永寺[現在地名]高岡町内山内山(うちやま)の東部にある。日蓮宗。幕末までは浦之名(うらのみよう)村深水(ふかみず)にあった法華宗富士門派の寺。松尾山と号し、本尊は多宝如来・釈迦如来。安房妙本(みようほん)寺(現千葉県鋸南町)末(三国名勝図会)。久妙両山並定善寺由来書(定善寺文書)には「浦名本永寺」とあって、日向国内では定善(じようぜん)寺(現日向市)のもと、顕本(けんぽん)寺と並ぶ有力寺院であった。永正一一年(一五一四)に没した安房妙本寺の日要は俗姓中村氏、定善寺のあった日向細島(ほそしま)(現日向市)の出身(天文一四年一二月一二日「妙本寺年中行事」定善寺文書)。日要は本永寺を建立し、師の日朝を開山に招いた。日朝は九州の宗勢衰退を挽回すべく、また学頭職を九州に置くため、学頭に補任されて下向していたもので、しばしば九州と本山の間を往復しながら布教にあたった。長享二年(一四八八)日朝は日要に学頭職を譲ったが、日要は翌延徳元年(一四八九)登山してそのまま上人となったため、日朝存命の間は学頭職の責任を日要・日朝で分担した。明応七年(一四九八)に日朝が死去すると日要は日向に下着して五年間逗留、文亀二年(一五〇二)に上洛する際、学頭職を顕本寺日杲に継承させた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by