室町時代の日蓮(にちれん)宗の僧。字(あざな)は鏡澄(きょうちょう)。行学院(ぎょうがくいん)と称する。伊豆国(静岡県)に生まれ、8歳のとき一乗坊日出(いちじょうぼうにっしゅつ)(1381―1459)の門に入って出家。28歳で三島の本覚寺を継承、40歳で身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)(現在、日蓮宗総本山)法主(ほっす)となる。同寺在職38年の間に、教団発展に対応して堂塔を整え、宗祖日蓮の祖廟(そびょう)を中心とする法則を定めて組織体制を確立した。また教義の組織化に努め、天台教学にも造詣(ぞうけい)が深かった。著作には『法華草案鈔(ほっけそうあんじょう)』10巻や、心血を注いだ著『補施集(ふせしゅう)』100余巻などがある。これらの書は、日朝の学徳を慕って集まった学徒が請来(しょうらい)した著書とともに身延文庫に収められている。
[渡邊宝陽 2017年9月19日]
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…しかし,やがて行われなくなり,日興(につこう)が主としてこれに当たり,日向(にこう)も身延に来て学頭を務めたが,身延の地を寄進した日蓮の檀越(だんおつ)波木井(はきい)実長と日興との間に不和が生じ,日興は88年(正応1)駿河に去ったので,日向が住持=貫首(かんず)となり,身延門流=日向門流の拠点とした。室町時代の貫首日朝は,堂宇を現在地に移し拡充したばかりでなく,その後嗣日意・日伝とともに,各地に身延門流の教線を伸ばし,それまでの波木井氏の氏寺的存在であった久遠寺を日蓮廟所を中心とする霊場寺院化していった。さらに,すでに日蓮在世のころにみられた身延への納骨もさかんとなり,人々の祖霊のいる霊山霊場としての身延信仰も加わっていった。…
※「日朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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