本田義英(読み)ホンダ ギエイ

20世紀日本人名事典 「本田義英」の解説

本田 義英
ホンダ ギエイ

昭和期の僧侶(日蓮宗),仏教学者 京都帝大教授;宝塔寺住職



生年
明治21(1888)年8月10日

没年
昭和28(1953)年7月29日

出生地
京都府

旧姓(旧名)
桐山 伝次郎

学歴〔年〕
京都帝大文科大学哲学科〔大正3年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和9年〕

経歴
本田日周の養子となり、日蓮宗の仏門に入る。松本文三郎に師事、インド哲学、仏教学を学び、フランス、英国、ドイツ、インドに留学。昭和9年京大助教授、10年教授となりインド哲学講座を担当。竜谷大、立正大、稲沢女子短大各教授、立命館大理事、印度文化研究所長、日本学術会議議員などを歴任、23年京大を定年退官。かたわら大正8〜11年慈雲院住職、以後宝塔寺住職。著書に「仏典内相と外相」「法華経論」「西域出土梵本法華経」「法華経新訳要集」「印度の社会」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田義英」の解説

本田義英 ほんだ-ぎえい

1888-1953 昭和時代の仏教学者。
明治21年8月10日生まれ。昭和10年京都帝大教授となり,のち立正大・稲沢女子短大の教授,印度文化研究所所長などを歴任。また日蓮宗の僧として京都の慈雲院,宝塔寺の住職をつとめた。昭和28年7月29日死去。64歳。京都出身。京都帝大卒。旧姓は桐山。幼名は伝次郎。著作に「仏典の内相と外相」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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