本都塚村(読み)もとみやこづかむら

日本歴史地名大系 「本都塚村」の解説

本都塚村
もとみやこづかむら

[現在地名]一宮町本都塚

かね川の扇状地に位置し、東は末木すえき村。古くは北都塚村とともに都塚郷に含まれたと考えられる。浄泉じようせん寺所蔵の厨子の永正四年(一五〇七)銘に「山梨県一宮庄都塚郷宝昌禅院」とあり、同郷は一宮庄に含まれた。同一七年には武田信虎と栗原くりばら(現山梨市)の国人栗原氏が戦ったが、「勝山記」に「六月八日ニ東郡ノ内ミヤケツカニテ軍アリ、上意ノ足衆切リ勝テ、其ノ日ニ栗原殿ノ城ヲマク」と記され、同郷にも戦火が及んでいる。天正一七年(一五八九)一一月二一日には徳川家康の命により、同郷の右近丞・孫四郎ら六名の有力農民宛で年貢・諸役等の細則が下された(「徳川家郷中掟書」古屋隆慶家文書)

慶長六年(一六〇一)検地で村切がなされ、当村と北都塚の二村になった(「逃散御訴訟之事」古屋隆慶家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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