朝日日本歴史人物事典 「本間百里」の解説
本間百里
生年:天明4(1784)
江戸後期の有職故実家。通称は与一。字,伯震。号は梅軒。一関藩(岩手県)の江戸屋敷に勤める。故実を松岡辰方に学び,辰方の『織文図会』を増補,補修した。かたわら高倉流の束帯衣紋も修めた。文化13(1816)年,姓を八幡と改める。著書に『服飾図解』『尚古鎧色一覧』などがある。村田春海の門人本間遊清と同一人とする説があったが,別人である。<参考文献>山本信哉「本間游清と本間百里」(『歴史地理』56巻4号)
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報