日本歴史地名大系 「本願寺村」の解説 本願寺村ほんがんじむら 三重県:桑名市本願寺村[現在地名]桑名市本願寺・益生(ますお)町・三ッ矢橋(みつやばし)・中央(ちゆうおう)町一―五丁目現桑名市の南部にあり、江場(えば)村の北に位置するが、桑名城下および矢田(やだ)村地内に大小五〇余の飛地があり、境界は複雑である。もとは浄土宗の本願寺があったので村名となった(桑名志)。産土神は天武天皇(てんむてんのう)社。江戸時代以前は現在地より北方にあったが、慶長の町割により、伝馬(てんま)町・萱(かや)町に一部編入された。また寛永一二年(一六三五)頃に当村の大部分は新屋敷(しんやしき)と称する武士屋敷に取立てられ、江場村の西の向イ堂(むかいどう)と称する場所へ移った。換地の不足を補うために、矢田村地内に飛地が多くできた(久波奈名所図会)。さらに一部は鍋屋(なべや)町として分離。そのため本願寺および天武天皇社は鍋屋町の地内となった。 本願寺村ほんがんじむら 愛知県:名古屋市瑞穂区本願寺村[現在地名]瑞穂区薩摩(さつま)町・西(にし)ノ割(わり)町・本願寺町・十六(そろ)町・佐渡(さわたり)町東は塩付(しおつけ)街道、南は北井戸田(きたいどた)村、西は高田(たかだ)村に接する。「徇行記」は「地高低アリ、田ハ山畠ノ間ヒクミ所ニアリ、皆天水待ナリ、雨ツキヨケレハ水ヨク持テ旱損ナシ、又西島ヲ一ツニ丸林ト唱ヘリ」と記す。高五六九石余のうち四七四石余が一〇人の藩士の給知。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by