日本歴史地名大系 「札之町」の解説 札之町ふだのつじちよう 静岡県:静岡市駿府城下札之町[現在地名]静岡市七間町(しちけんちよう)・呉服町(ごふくちよう)一―二丁目・両替町(りようがえちよう)二丁目駿府城の西にあたる大手門のほぼ正面に位置し、城下横筋(横町、東西方向の通りの町並)第五行の両側町。西は七間町に続き、東は縦筋(縦町、南北方向の通りの町並)第二行の呉服町と交差し、高札場がある。東海道は呉服町四丁目から西に折れて当町に入り、七間町に続く(以上、町方絵図)。町名は高札が立てられたことに由来する(「駿河志料」など)。富田屋五郎右衛門は近世初頭より駿府糸割賦仲間の一員で、延宝四年(一六七六)長崎貿易の利益金二両一分の配分を受けた(「長崎貨物銀拝領請取帳」県立中央図書館所蔵文書)。 札之町ふだのつじちよう 大阪府:大阪市南区札之町[現在地名]南区上本(うえほん)町西(にし)三丁目、天王寺区上本(うえほん)町三丁目上本町四丁目南半(みなみはん)の南に続く上本町(うえほんまち)筋の両側町。「天保町鑑」には「上本町筋南の口、寺町界」とある。明暦元年(一六五五)には堀之外札之辻(ほりのそとふだのつじ)町といい、元禄七年(一六九四)札之辻町となった(南区志)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年三郷水帳寄帳では屋敷数三一・役数三三役。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by