杉木普斎(読み)すぎきふさい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「杉木普斎」の意味・わかりやすい解説

杉木普斎
すぎきふさい
(1628―1706)

江戸前期の茶人。伊勢外宮(いせげくう)の御師(おし)、杉木吉大夫光貞の子で、名は光敬(みつたか)。普斎、宗喜、得失庵(あん)、直入庵などの号をもつ。宗旦(そうたん)四天王の一人。早くから茶に志し、1642年(寛永19)千宗旦の門に入り、山田宗徧(そうへん)と並ぶ高弟となる。宗旦没後はその子一翁宗守、江岑宗左(こうしんそうさ)に習う。68年(寛文8)以来、伝書の形式で利休の正風、宗旦的伝の茶を門弟伝授したことや、家職の関係から各地を歩くなかで、茶の伝授にあたったのが特徴。初め勢州茶楽人、のち日本茶楽人と号した。宝永(ほうえい)3年6月、伊勢にて79歳で没した。

[村井康彦]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉木普斎」の解説

杉木普斎 すぎき-ふさい

1628-1706 江戸時代前期の茶人。
寛永5年生まれ。母は杉木美津。伊勢(いせ)(三重県)山田の人。伊勢神宮の御師(おんし)(神職)の家をつぐ。千宗旦(そうたん)に入門,山田宗徧(そうへん)とならぶ高弟となる。播磨(はりま)(兵庫県)など各地をめぐり,茶の湯をひろめた。宝永3年6月21日死去。79歳。名は光敬(みつたか)。通称吉太夫。別号に宗喜,直入庵,得失庵。著作に「普斎十巻条」など。

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