デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「李是応」の解説 李是応 イ-ハウン 1821*-1898 朝鮮王朝の政治家。純祖20年12月21日生まれ。次男(高宗(コジヨン))が12歳で王位につくと,興宣大院君となって摂政として実権をふるう。高宗の妃閔(ミン)氏の一族との政争で失脚,壬午(じんご)事変をおこしたが失敗し清(しん)(中国)軍に幽閉された。のち閔妃が暗殺されたあと日本軍の後押しで政権にかかわったが,まもなく隠退した。1898年(光武2)2月22日死去。79歳。号は石坡。 李是応 り-かおう ⇒イ-ハウン 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例