日本歴史地名大系 「来応寺」の解説 来応寺らいおうじ 愛媛県:宇和島市宮下村来応寺[現在地名]宇和島市宮下来村(くのむら)川左岸、堀部(ほりべ)公園の近くにある。真正山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊薬師如来。創建は至徳二年(一三八五)、開山は首宗賢禅である。当寺は来村殿西園寺氏の菩提寺であり、弘治元年(一五五五)西園寺宣久が川原淵の蕨生(かわらぶちのわらびお)(現北宇和郡松野町)から買い取った客殿を建立している。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉の四国征伐の翌年、当寺も破壊され、庵主桃林良朔がただ一人勤行したと伝える(宇和旧記)。寺の門前に、西園寺宣久の墓(市指定史跡)がある。宣久は、天正三年に板島丸串(いたじままるぐし)城(宇和島城)の城主となり、翌四年には伊勢に参拝し、「伊勢参宮海陸の記」という紀行文を残している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by