日本歴史地名大系 「東の上遺跡」の解説
東の上遺跡
あずまのうえいせき
柳瀬川左岸の台地上にある。台地崖線に沿って東西約一キロ・奥行南北約四〇〇メートル、面積約四〇ヘクタールを占める集落跡。昭和五〇年(一九七五)から平成五年(一九九三)七月まで五三回の発掘調査が実施され、縄文・弥生・奈良・平安の各時代の遺構が重複して発見された。縄文時代は早期条痕文系土器の炉穴、中期加曾利E4式土器を伴う敷石住居跡、弥生時代は後期の弥生町式から前野町式土器を出土する竪穴住居跡六〇が発掘された。二〇〇×一〇〇メートルの集落範囲が確認され、武蔵野台地では大規模な集落跡である。奈良―平安時代の集落跡では七世紀後半の竪穴式住居跡が早いが、最も発展するのは八世紀で、九世紀には徐々に衰退、一〇世紀頃まで存続していたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報