武蔵国府(読み)むさしこくふ

日本歴史地名大系 「武蔵国府」の解説

武蔵国府
むさしこくふ

現府中市街地の中心部に比定される。国府はコの字形の建物配置をとることの多い国庁を中心に、種々の官衙・倉庫・工房・国司居館などが占地している一画をさす。条坊を有する都市的景観を備えていたとされることがあったが、現段階では疑問視されている。武蔵国府の国庁の所在地については(一)御殿地ごてんち(本町一丁目)、(二)坪宮つぼのみや(片町二丁目―本町一丁目)、(三)京所きようず(宮町二―三丁目)、(四)高安寺こうあんじ(片町二丁目)、(五)高倉たかくら(美好町三丁目―分梅町一丁目)などが説かれてきているが、掘立柱建物跡が数多く検出され布目瓦や磚が出土した大国魂おおくにたま神社(宮町三丁目)東側の(三)が有力視されている。(五)は(三)から西へ一キロの地点に所在しており、国府付属の倉庫にかかわると推定されている。もっとも最近では郡家跡との推定もある。国府の造営は七世紀後半に始まり、一〇世紀初め頃廃絶したとされる。なお大国魂神社(六所宮)は国司が参拝の便宜のため武蔵国内諸社を一ヵ所に合祀した惣社であり、国府の印・鍵を祀る印鑰いんやく社には坪宮(本町二丁目)が当てられ、大国魂神社境内の末社になっている宮乃売みやのめ神社は国府の建物の守護に当たる神霊である。

武蔵国は大国であるので守・介・大掾・少掾・大目・少目各一および史生三が国庁に出仕し、その下に国内郡司土豪層出身の書生をはじめとする雑任職員が組織され、国政の実務を執行していた。武蔵守で知られる最初の人物は大宝三年(七〇三)に任官している引田祖父である(「続日本紀」同年七月五日条)。神護景雲三年(七六九)九月一七日に入間郡正倉に神火が発生すると、武蔵国司はすぐに卜占を行い出雲伊波比神の祟りであるとしている(宝亀三年一二月一九日「太政官符」天理図書館所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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