日本歴史地名大系 「武蔵国府」の解説
武蔵国府
むさしこくふ
現府中市街地の中心部に比定される。国府はコの字形の建物配置をとることの多い国庁を中心に、種々の官衙・倉庫・工房・国司居館などが占地している一画をさす。条坊を有する都市的景観を備えていたとされることがあったが、現段階では疑問視されている。武蔵国府の国庁の所在地については(一)
武蔵国は大国であるので守・介・大掾・少掾・大目・少目各一および史生三が国庁に出仕し、その下に国内郡司土豪層出身の書生をはじめとする雑任職員が組織され、国政の実務を執行していた。武蔵守で知られる最初の人物は大宝三年(七〇三)に任官している引田祖父である(「続日本紀」同年七月五日条)。神護景雲三年(七六九)九月一七日に入間郡正倉に神火が発生すると、武蔵国司はすぐに卜占を行い出雲伊波比神の祟りであるとしている(宝亀三年一二月一九日「太政官符」天理図書館所蔵文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報