日本歴史地名大系 「東下町」の解説 東下町ひがししもまち 富山県:東礪波郡城端町城端町東下町[現在地名]城端町 東下町出丸(でまる)町を南へ上り、東に折れる角地が掃溜(はきだめ)(現広小路)、さらに東へ曲ると禅寺前(ぜんでらまえ)。そこから南へと東下町の家並が延びる。当町の東側は崖地となり、池(いけ)川に臨み、理休(りきゆう)村領の川島(かわしま)に通じる(「城端絵図」城端図書館蔵)。北野(きたの)村の七日市が井波瑞泉(いなみずいせん)寺の移転により衰退、慶長九年(一六〇四)城端下(しも)町に移る(「諸事御触抜書」同館蔵)。元和九年(一六二三)の大火で下町の七日市は退転したが、延宝九年(一六八一)の市場定書では東町全体で十日市を担当し、月三回の市日にそれぞれ四十物見世と唐人見世を出している(「城端古文書」石川県金沢市立図書館蔵)。 東下町ひがししたまち 北海道:渡島支庁松前町松前城下東下町[現在地名]松前郡松前町字豊岡(とよおか)近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。近世は松前城下の一町。東中(ひがしなか)町の南にあり、南側に下りると泊川(とまりかわ)町。馬形(まかど)を冠する場合もあった(天保一四年「御触留書」市立函館図書館蔵)。享保二年(一七一七)の「松前蝦夷記」に東下町とみえる。天明元年(一七八一)の松前広長「松前志」でも東下町であるが、宝暦一一年(一七六一)の「御巡見使応答申合書」では「東浜町」となっている。文化三年(一八〇六)の松前市中地図、文化頃の松前分間絵図にも「東浜町」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by