デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東久世博子」の解説 東久世博子 ひがしくぜ-ひろこ 1672-1752 江戸時代前期-中期の女官。寛文12年3月29日生まれ。東久世通廉(みちかど)の娘。霊元(れいげん)天皇の掌侍となり,新内侍と称す。のち小上臈(じょうろう)となり,帥局(そちのつぼね)とあらため,2皇子を生んだ。享保(きょうほう)4年(1719)大宮と改称。天皇の死後,剃髪(ていはつ)して光音院と号した。宝暦2年3月20日死去。81歳。幼名は留子。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「東久世博子」の解説 東久世博子 (ひがしくぜひろこ) 生年月日:1672年3月29日江戸時代中期の女性。霊元天皇の宮人1752年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by