東九条庄(読み)ひがしくじようのしよう

日本歴史地名大系 「東九条庄」の解説

東九条庄
ひがしくじようのしよう

現南区の中心域、旧紀伊きい郡の北半部に散在分布した九条家の所領田畑で、いわゆる「名字荘園」の一であるが、主に東九条庄の名でよばれ、東九条領とも称された。

東九条領の分布や耕作経営者などを知りうる最も早い時期の史料は、仁平三年(一一五三)一二月二六日付東九条領検注坪付帳案(九条家文書、以下同文書による)で、跡里・平田里・三木里・柿元(本)里・大副里・鳥羽手里・社里・幢里・林(拝志)里・萩原里の十ヵ里に散在する約三六町六段の田畑(川成等含む)と、九条大路以北の四ヵ所の屋地が記載されている。「東九条領」の称は、「九条御領辺図」記載里名との対照から判断されるように、田畑が朱雀すざく大路より東に分布していたことによるものであろう。当庄のその後の田畑の分布を示すものとして、一三世紀初期に成るといわれる紀伊郡里々坪付帳がある。この坪付帳は、「下布施里・上(津)鳥里・河副里・佐井佐里・飛鳥里・跡田里・社里・穴田里・角神田里・幢鉾里・真幡木里・須久田里・三木里・平田里・松本里・鳥羽手里・大副里」における各坪ごとの領有関係が詳細に記載されており、その著しい入組状態が知られるが、同帳に記される「九条殿」「九条殿御領」、及び「宜秋門院」(九条兼実の長女)領地は、大部分が先掲、東九条領検注坪付帳案に記された田畑と対応している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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