東光寺城跡(読み)とうこうじじようあと

日本歴史地名大系 「東光寺城跡」の解説

東光寺城跡
とうこうじじようあと

[現在地名]久留米市山川町

戦国期にみえる城郭の跡。高良こうら山塊の北西端、南から北に延びる半独立丘陵(最高部標高六六メートル)にあるが、地形損壊がはなはだしい。高良山に属する東光寺があったらしく、「高良玉垂宮神秘書」に「東光寺ハ伝法師ヲハシマス所也、十五坊ノ在所也、東ムキニ立ル寺ニヨリ、東光寺トハ名付タリ」とみえる。伝法師は高良山僧の中核的存在「法ノ三職」の最高位。発掘調査で鎌倉期の遺物と考えられる土器などが発見されたことからも、東光寺の草創を中世前期に求める伝承がある程度裏付けられよう。戦国期、丘陵上に城郭が構えられたようで、天正一一年(一五八三)と推定される三月一九日の大友義統書状(筑後将士軍談)では高良社大祝鏡山氏の東光寺在番への謝意が述べられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 《「礼記」月令から》カワウソが自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。獺祭魚。おそまつり。うそまつり。2 《晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座...

獺祭の用語解説を読む