日本歴史地名大系 「東園村」の解説 東園村ひがしそのむら 鳥取県:東伯郡大栄町東園村[現在地名]大栄町東園西園村の東に位置する。集落の南を伯耆街道が通り、北には北条(ほうじよう)砂丘が広がる。集落の北に製塩が営まれていたことを推測させる塩竈北林(しおがまきたばやし)の地名が残る。もとの集落は現在の集落の南方、元屋敷(もとやしき)にあったとされるが、享保年間(一七一六―三六)頃に現在の地域に移ったという。拝領高は二六六石余。藪役銀二匁を課されており(藩史)、能勢氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高二五〇石余。 東園村ひがしぞのむら 島根県:出雲市東園村[現在地名]出雲市東園町・長浜町(ながはまちよう)神戸(かんど)川下流右岸にあり、南の対岸は大島(おおじま)村、西は西園村、北は荒木(あらき)村。もと園(その)村で、近世中期に東・西に分れ、そののち西園村のうちから外園(そとぞの)浦が分立したと思われる。正保国絵図には神戸川流域に薗村とみえる。元禄十年出雲国郷帳にも薗村とみえ、高三千三六七石余(うち社領七五四石余)、寛文四年(一六六四)の本田高九〇二石余・新田高一千七二五石余。「雲陽大数録」では高九一〇石。宝暦四年(一七五四)の神門郡北方万指出帳(比布智神社文書)では東西五町二〇間・南北九町九間、高九一一石(うち日御崎社(日御碕神社)領として当村七三〇石、西園村よりの新社領五〇石を含む)、田五七町・畑一三町九反、家数八〇・人数三三三、牛二一・馬三と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by