日本歴史地名大系 「東寒川村」の解説
東寒川村
ひがしさんがわむら
「南海流浪記」の宝治二年(一二四八)の条に「同年拾月二拾七日、伊予国寒川地頭小河六郎祐長建立一堂、三尊供養導師勤之」とあり、高野山の僧道範が讃岐国に流され、伊予に立ち寄って寒川地頭の建立した堂の供養導師を勤めた。これが地名の初見である。また貞和五年(一三四九)の「筑紫古文書追加」に足利尊氏の出した下文として、
とあるのが村名の初見である。村名の由来については観音漂着の話がある(→西寒川村)。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報