東浪見村(読み)とらみむら

日本歴史地名大系 「東浪見村」の解説

東浪見村
とらみむら

[現在地名]一宮町東浪見

一宮本郷いちのみやほんごう村の南東に位置し、東部九十九里浜が続く。つりヶ崎があり、伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還が通る。天正九年(一五八一)一一月二二日の里見義頼印判状写(武州文書)に虎見之郷とみえ、造海つくろうみ城主の正木淡路守に与えられている。当地の岩切いわきり所在の東浪見寺には平安末または鎌倉初期の作と考えられる木造軍荼利明王立像(像高二・〇四メートル、県指定文化財)がある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一千三〇五石。正保国絵図でも同高。元禄郷帳では高一千三六九石余。また当村の枝郷として新熊あらくま村五一二石余・下谷したや村二七二石余とあるが、天保郷帳では東浪見村のうちとされ、しかもその村高は一千三七〇石余であり、新熊村・下谷村の高は加算されていない。寛政五年(一七九三)の高一千三六六石余で、うち幕府領三二石余で年貢は二一俵余、旗本土方領一千三一一石余で年貢は一千三四一俵余であったが、安永九年(一七八〇)から四八〇俵余が増徴となった。同高林領は五石余で三俵、同興津領は九石余で四俵余、同服部領は八石余で五俵余。家数三四一・人数一千八九三。村方は魚漁と塩浜稼を行っており、地引網八帖を所持し運上は金三〇両・永八〇文を納入している(一宮町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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