日本歴史地名大系 「西田井村」の解説
西田井村
にしたいむら
鎌倉期―戦国期にみえる京都東寺領
大山庄地頭代正仏が領家年貢を請負った仁治二年五月の大山庄領家年貢請文案には「西田井村荒廃分所当者、打開者、可致沙汰」とあり、この時すでに荒廃していた。東寺と地頭中沢氏との下地中分の結果作成された永仁三年(一二九五)三月八日の中沢基員分田坪付注文および雑掌祐厳等連署分田坪付注文案によって、
西田井村
にしだいむら
西田井村
にしだいむら
西田井村
にしたいむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報