東福城跡(読み)とうふくじようあと

日本歴史地名大系 「東福城跡」の解説

東福城跡
とうふくじようあと

[現在地名]佐和田町石田

石田いしだ川左岸の舌状台地先端にある。獅子ししヶ城とも称し、近世の地誌類には河原田かわはらだ城とも記す。比高約三〇メートル、南・東に水濠、北・西に空濠があった。規模は「佐渡故実略記」に「石田村之内、東ヲ本丸、西ヲ二ノ丸(中略)此間二十五間、惣郭ノ敷坪七千五百坪、内外常盤木茂リ、北より南エ流西エ落ル大川アリ、是ヲ四手川ト云」とある。明治の土地台帳(石田区有)の大字石田分の「五番字城之腰袋」に内町・東城・城道東・城道西・城ノ内・城ノ腰、「六番字鍛冶町袋」に朱幌しゆほろ町・鍛冶かじ町の地名がみえる。城地下の平坦地は築城以前の石田郷代官の居館地とも考えられる。居館主は建治元年(一二七五)五月八日付日蓮消息(一谷入道御書「昭和定本日蓮上人遺文」所収)に、文永九年(一二七二)一谷いちのさわの日蓮を監視した「預たる名主」と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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