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東郷重位 とうごう ちゅうい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東郷重位 とうごう-ちゅうい

とうごう-じゅうい

東郷重位 とうごう-じゅうい

1561-1643 織豊-江戸時代前期の剣術家。
永禄(えいろく)4年生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。はじめタイ捨流を,のち京都で僧善吉に天真正自顕(てんしんじょうじけん)流をまなび,示現(じげん)流をひらく。藩主島津家久(いえひさ)の指南役,坊泊(ぼうとまり)の地頭をつとめた。寛永20年6月27日死去。83歳。本姓は瀬戸口。通称は藤兵衛。名は「ちゅうい」「しげかた」ともよむ。

東郷重位 とうごう-しげかた

とうごう-じゅうい

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朝日日本歴史人物事典の解説

東郷重位

没年:寛永20.6.27(1643.8.11)
生年:永禄4(1561)
安土桃山・江戸前期の剣術家。示現流の創始者。通称は藤兵衛。重位は諱。薩摩国(鹿児島県)に生まれ,タイ捨流剣術を東権右衛門に学ぶ。天正16(1588)年薩摩藩主島津義久に従って上洛し,3年におよぶ滞在中に,万松山天寧寺の善吉和尚に自顕流を学んで印可を得,タイ捨流の門を離れた。帰国後は鳥越に住してひとり立木打ちの稽古に励んだとされ,のちに示現流を開いた。慶長9(1604)年,藩主島津家久の御前でタイ捨流師範の東新之丞と立ち合い,勝利して以来,薩摩藩では示現流が主流となった。その後は家久の剣術師範役となり,400石を得て坊泊の地頭職を勤めた。<参考文献>今村嘉雄他編『日本武道大系』

(加来耕三)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東郷重位
とうごうじゅうい
(1561―1643)

「~しげかた」ともいう。薩摩(さつま)藩独特の剣術、示現(じげん)流の始祖。同藩士東郷十左衛門重為(しげため)の二男。親族瀬戸口氏の養子となり、瀬戸口藤兵衛と称したが、のち復姓。幼少より東権右衛門正直(ひがしごんえもんまさなお)、藤井六弥太続長(ろくやたつぐなが)らについてタイ捨流を学び、1578年(天正6)日向(ひゅうが)高城河原の大友合戦に初陣の功をたて、88年豊臣(とよとみ)秀吉の聚楽第(じゅらくだい)完成祝賀のために上洛(じょうらく)した島津義久(よしひさ)に随行し、宿所に近い天寧(てんねい)寺に参禅の機会を得、同寺の善吉和尚(ぜんきつおしょう)(俗名赤坂雅楽之助(うたのすけ))から天真正自顕(てんしんじょうじけん)流の秘法を伝授された。帰国後3年間、大隅国分(おおすみこくぶ)で昼夜各12回の立木打(たちきうち)の修行を重ね、ついに刀術の精妙を悟り、タイ捨、自顕の2流を合して一流を編み出した。1604年(慶長9)、藩主家久(いえひさ)に召し出されて、御前試合に勝ち、兵法師範役を命ぜられ、金剛経文にある「示現神通力(じげんじんつうりき)」の語をとって、流名を示現流と改めた。禄(ろく)400石、坊(ぼう)の泊(とまり)の地頭(じとう)職に補せられ、城下に屋敷を賜り、肥後守(ひごのかみ)を称した。[渡邉一郎]

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