日本大百科全書(ニッポニカ) 「東郷重位」の意味・わかりやすい解説
東郷重位
とうごうじゅうい
(1561―1643)
「~しげかた」ともいう。薩摩(さつま)藩独特の剣術、示現(じげん)流の始祖。同藩士東郷十左衛門重為(しげため)の二男。親族瀬戸口氏の養子となり、瀬戸口藤兵衛と称したが、のち復姓。幼少より東権右衛門正直(ひがしごんえもんまさなお)、藤井六弥太続長(ろくやたつぐなが)らについてタイ捨流を学び、1578年(天正6)日向(ひゅうが)高城河原の大友合戦に初陣の功をたて、88年豊臣(とよとみ)秀吉の聚楽第(じゅらくだい)完成祝賀のために上洛(じょうらく)した島津義久(よしひさ)に随行し、宿所に近い天寧(てんねい)寺に参禅の機会を得、同寺の善吉和尚(ぜんきつおしょう)(俗名赤坂雅楽之助(うたのすけ))から天真正自顕(てんしんじょうじけん)流の秘法を伝授された。帰国後3年間、大隅国分(おおすみこくぶ)で昼夜各12回の立木打(たちきうち)の修行を重ね、ついに刀術の精妙を悟り、タイ捨、自顕の2流を合して一流を編み出した。1604年(慶長9)、藩主家久(いえひさ)に召し出されて、御前試合に勝ち、兵法師範役を命ぜられ、金剛経文にある「示現神通力(じげんじんつうりき)」の語をとって、流名を示現流と改めた。禄(ろく)400石、坊(ぼう)の泊(とまり)の地頭(じとう)職に補せられ、城下に屋敷を賜り、肥後守(ひごのかみ)を称した。
[渡邉一郎]